橋岡蓮 ’s diary

単なる日記でもなければ、単なるエッセイでもない

家族はそれぞれ形がある

処方してもらった薬が見事に効いて、震えることなく仕事を終えて安堵している。

素早い動きはまだまだできないが、震えが止まっただけでも十分だ。

薬は何故か十日分しか処方されていないので、月末になったら薬を貰いに行かなければならない。

この職場は十五日が〆日とのことで、今月働いた分は月末に振り込まれる。

金が入ってくるぞ!大事に貯金しておかなければ。

 

私はポジティブな性格なのであまり自覚はないのだが、実は深刻なものを抱えている。

それが原因となって、様々な症状が出る。

それでもポジティブなので、乗り越えられてしまう。

頭の中ではわかっているようで、自認できていない部分がある。

苦しい時はただ座っているだけでヘトヘトに疲れてしまうのだが、そう云う時はれっきとした原因がある。

大体が人間に期待して裏切られた時かな。

その人間って云うのは家族に限定される。

例えば、優しい言葉を掛けて欲しい時、冷酷な態度を取られたりすると心が抉られる。

そして身体がヘトヘトになってしまう。

かといって、私の場合、落ち込むということがあまりない。

寝て起きれば治るだろうと楽観的に考えていると、本当に翌日ケロっとしていることが多々ある。

だけど何度も言われているじゃないか。

これ以上、家族(両親を含む)に期待してはダメだって。

ところが、外部からの情報が私を苦しめることがたまにある。

 

「家族なんだから、想ってくれていないわけがないじゃない!」

「分かり合えるに決まっている、心配してくれているに決まっている」

 

そう云うものなのかなぁ。。。と思って自分から歩み寄ろうとしてみる。

それでも期待したことを後悔するのみ。

自分に余裕がある時は家族のことも考えられるのだが、裏切られても裏切られても愛情を持って一歩を踏み出す労力は、今の私には無いのではないかと感じた。

重荷になっていることに気が付いたのだ。

距離があるからこそ、上手く行く関係もあるだろう?

ウチの親子関係は、まさにそれなんじゃないかと。

今週の土曜日は母親の誕生日だったので、プレゼントと手紙を送った。

先週は父親の誕生日だったし「古希」の祝いも兼ねて、母親とは別にプレゼントと手紙を送った。

たぶん週の中日には届くことだろう。

母親の手紙には私の携帯電話の番号を書いて「もしよかったら電話ください」と添えた。

父親の手紙には「いつか家族皆で会えないものでしょうか?」と書いた。

一度全員集合すれば、お互いに気持ちがスッキリすると思ったからだ。

それらを送ったまでは良かったが、なんだか泣きたい気持ちになってしまった。

何故だかわからないが、逃げたくなったと云うのが正直な気持ち。

その時ハッキリと自覚した。

今の私は自分のことで精一杯で、家族の結束のために動き回る余裕などどこにもないということに。

もしかしたら、母親は特に、自分のことで精一杯で私に歩み寄ろうなどというエネルギーはないかも知れない。

だとしたら、変なプレッシャーを与えてしまったよなと思った。

つまり、お互いに何もしてあげられない間柄なのだったら、不必要な期待や優しさを投げるのは却って毒になり兼ねないということだ。

 

家族の形ってそれぞれで、親子が愛し合うのが理想なんだけど、我が家には我が家のスタイルって云うものがある。

年に一度か二度送られてくる手紙で、十分だと思う節もあったりして。

母親には今更母親らしくなって欲しいとも思わないし、健やかに穏やかに歳を重ねて行ければそれでいいんじゃないかな?とも思う。

父親に関しては、心のどこかでは父親らしくいて欲しいみたいな気持ちがあるけれど、良くも悪くもあれが父親の人間性なんだよなとも思う。

 

結局、つかず離れずでいいのではないだろうか。

ウチの家族が全員納得しているのなら、それでいいのではないだろうか。

皆、それぞれ事情がある。

傍から見れば解決していないと思われるかも知れないが、とっくに解決済みのような気がする。

 

この話を理解してくれる人は極めて稀だけども。