橋岡蓮 ’s diary

単なる日記でもなければ、単なるエッセイでもない

新しいステージ

お電話で失礼だったかも知れないが、大事な話ができて良かった。

晴々した気持ちと、ちょっぴり寂しい気持ちが入り混じっているが、結果的にこれで良かったと思っている。

一言で言うならば、私は枠に収まり切らない人間であるということだ。

窮屈に感じたり、自分の居場所じゃないと感じたりすると飛び出そうとする。

協調性がないと言えばそれまでだが、協調性を必要としない生き方もある。

私などは、一人で自由奔放に生きてなんぼ。

リスペクトする人がいたら、共に歩むことはあっても、その人の言うことはあまり聴かないかも知れない。

とはいうものの、仲良くできないわけではない。

仲はいいのだけれど、要は、好き勝手生きて行きたいのだ。

学歴もない、手に職もない、経験もない私が自由に生きていたら心強いでしょう?

私は私みたいな人間が生き生きしていたら心強いけどね。

 

 

守るものがある人は自我も抑えられるような気がするのは私だけだろうか?

私はどちらかと言うと、めちゃくちゃ自我が強いタイプかも知れない。

ところが、守るものがあれば、その人の幸せを優先し合わせるということを学ぶ。

今までは、自分の自我を押し通すようなところがあった。

私の望み通りにしてもらいたいとね。

だが、百歩譲る気持ちが芽生えつつある。

私の欲望の前に、相手の欲望を満たしてあげようとする心だ。

これは大きな成長だと思っている。

子供もいない、旦那もいないとなると、なんでもかんでも自分のキャンパスに描きたくなるのだが、そればかりが能ではないと。

守るものが幸せを感じてくれるならばそれでもいいか、みたいな気持ちにさせられる。

かといって、大人にはなりたくない。

私は大人だからとほざいているが、本当は永遠なる無垢を望んでいる。

空気なんて読めなくていいし、我が儘でいたい。

孤立していたっていいし、仲間になんて入れなくたっていい。

ただ、私の日々の投稿を読んで何か感じてくれればそれでいいと本気で思っている。

気が合う人とは親しくするし、愛おしい人のことは愛おしいのだが、たぶん一番可愛いのは自分なのだ。

その辺のことは私は完全に開き直っている。

そんな私にもかつて愛犬がいて、自分のことより可愛かった。

あの愛を忘れたくないから、やはり私には守るものが必要なんだと思う。

ロックンローラー』を書き終えたばかりだが、新作を書こうかなとも思っている。

人間の命って、想像以上に短く、儚いものだ。

今この瞬間もあっという間に消えてゆく。

そう考えると、元気なうちに、できる限りのことをしておきたい。

私には物を書く以外のことは天が授けなかったからね。

 

 

私の極端な性格や強烈すぎて抑えられない個性みたいなものは、作品にぶつけるしか術がない。

私は書くしかない。

飲み歩いている自分に飽きてしまう前に、再び作品創りに没頭するのが一番だ。

私としては、作品創り以外に、この投稿に半ば命を懸けている。

なぜなら皆さんにメッセージを伝える最適な手段だと思っているからだ。

私ってこういう人間、そこにリスペクトしてくれる方集まれ!みたいなね。

 

 

出会い別れるのは劇的であり、最後はとても寂しいもの。

今まで別れた人は数知れず。

だけど作品の中に登場した人とは、永遠に別れることはない。

寂しがり屋の私はちょっぴり未練たらしく、愛した人を登場人物に変えてしまう。

仮に新しく恋人ができても、私は多くの人へ愛を囁き愛を注ぐ。

相手には一途さを求めるクセに、私はなかなかそうはなれない。

けれども守るものは頑なに守るし、ずっと味方。

そういえば、誰かが言っていた。

蓮さんは蓮さんのことが好きな人を好きになるから恋愛成功率が高いってね。

確かにそうかも知れないが、好きになってくれた方へは責任を持つようになった。

よし、素晴らしい作品がまた書けるような気がしてきた。

飲み歩くのに飽きたわけではないけれども。