nakanakadekinai's diary

単なる日記でもなければ、単なるエッセイでもない

花咲かす

自分の嫌いなところを唯一挙げるとしたら、人に気を遣い過ぎること。
そのくせ、相手の些細な心配事に気付いてあげられなかった場合深く落ち込む。
相手のことをわかってあげたいと思えば思うほど、気付いてあげられていないことないかな?って探っている自分がいる。
だけど私としては顔見れただけで幸せ、一緒にいるだけで幸せ。
私の全てをわかって欲しいだなんて微塵も思っていない。
もしかしたら皆だって、同じ気持ちかも知れない。
仲間を信頼していないのとはちょっと違う。
仲間にとって良き理解者でありたいと思っているだけ。
だけどその人にとって一番になりたいわけじゃない。
なんなら私は最下位の存在だって一向に構わない。
友達でいてくれるだけで、私は幸せ。
本当にそう思っている。
理解者を探していると云うのは事実だけれど、それを仲間に求めるのはちょっと違う気がする。
仲間って云うのはどこまでも仲間であって、皆大体私のことをよくわかってくれている。
でも私が求める理解者とは違う。
本当はパートナーが理解者だったら、それに越したことはない。
何故だか神様は私に家庭運と云うものを与えない。
蓮の花は泥水にしか咲かないから、居場所が清水だったら花を咲かせることができない。
つまり、理解者不在の寂しさを抱えながら文章を書くしかないんだと思っている。
流されやすい人もいるけど、私は泥に塗れることは無い。
泥水を拠点としながらも、清く美しく咲くのが蓮の花。
ハッキリ言って薄汚れた世界を生き抜いてきた。
私まで薄汚れてしまうのが嫌で、職を転々とした。
だけど考えように依っては、四十歳になるまでに遣りたいと思っていたことは全て経験した。
ブルーカラーの私だが、魚屋、工場、競艇場、ゴミ処理場、警備会社だけではなく、ホステスはスナックから高級クラブ、金融会社、ドコモショップにブランドショップ、本当にあらゆることを経験して悔いは無し。
唯一経験しなかったことは出産くらい。
でも私の人生、これで良かった。
問題はここからだ。
私の目標はまだまだこんなところに転がっているわけではない。
簡単に手が届くものでもない。
生きている間に理想の自分になれれば本望。
それまでどうやって生き延びるかが課題。
あと二十年の勝負。
とある人は私にこう謂う。
自分の理解者ってのは自分だけだって。
ってことは、私は一生理解者不在の状態で生きて行かなければならないってこと。
自分が自分の理解者って思えるのにはあと数年かかるだろう。
そこまで私は達観できていない。
ただ一つ謂えることは、文章を書くって云うことは見えない誰かの理解を求めていることに繋がるのではないだろうか。
あくまでも私の場合はそうだ。
理解されない前提で文章を書く人もいるけど、目的は何なのだろうか。
私は自分の文章読んで救われているような奴。
うんうん、って納得して安心している奴。
自分で自分のツイッター見て癒されてる奴。
ってことは、自己の救済のために文章書いているのかも。
それに対して温かい目で見守ってくれるならこんな幸せはない。
時には大胆で突拍子もないこと書くから危なっかしいけど、良くも悪くもこれが蓮さんなんだって思ってもらえれば最高。
たぶん死ぬまで書き続ける。
書いても書いても手応えを感じないから。
私の書く文章に需要があるとは思わない。
だけど泥水の中で生きている人には、突き刺さるものがあるって信じているから堂々と書ける。
泥水に塗れることなく私が花を咲かせれば、励みにしてくれる人もいるだろう。
そのためには私が清く美しく咲かなければならないって話。
咲くためには泥水が必要ってことは、今ある環境を受けいれてこそ。
人生に於いて、人間一度くらいは花を咲かせることができるはず。
幸せになるのはそれからでも遅くはないだろう。
 
破壊から再生へ

破壊から再生へ

  • 作者:橋岡 蓮
  • 発売日: 2020/12/04
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)