nakanakadekinai's diary

単なる日記でもなければ、単なるエッセイでもない

路上生活

この寒さの中、路上生活を余儀なくされている人々がいるということはニュースでは知っていた。

しかし身近な存在の知り合いの中にそういう人がいると聞いて、他人事とは思えなくなった。

実は私も路上生活を数回経験している。

街を飛び出したはいいが、保証人の関係でなかなかアパートを契約するのが難しかったからだ。

上京したばかりの私はまさにそうだった。

アパートを借りるのに二ヶ月以上かかった。

一月、大雪の中富山県を出て東京に辿り着いた。

上京したばかりの頃は所持金が二万円。

ジムニーをコインパーキングに入れて、私はカプセルホテルに泊まり、飛び込んだ熟女パブで日銭を稼ぎながらアパートの頭金を貯めた。

カプセルホテルには布団などなく、毛布一枚で死ぬ程寒かった。

だけど私はカプセルホテル生活を割と楽しんでいた。

食事は毎日緑のたぬきとコンビニのおにぎり一個。

一日一食。

飽きることなくそれを二ヶ月間食べ続けた。

しばらくすると、働いている店のマネージャーが駐車場を貸してくれるようになった。

コインパーキング代が浮いたので、それもまた貯金へ。

店には休みなく毎日出勤した。

カプセルホテルと店の往復のみで、何処へも行かなかったし、何も買わなかった。

しばらくはお店のドレスを貸してもらっていた。

しかし慣れてきた頃、もっと売上を上げるためにドレスを二枚だけ買った。

売上は着々と伸ばすことができた。

クセの強いお客さんばかりで精神的にはきつかったが、中にはいい人もいて何とか二ヶ月でアパートの頭金と未納だった年金を払った。

ジムニーの駐車場も借りることができた。

八王子に居て、カプセルホテル生活をしている間は殆どジムニーに乗ることがなかったが唯一の相棒だから手放すことなんて考えられなかった。

そうして念願のアパート暮らしを手に入れたのだが、ストレスと酒の飲み過ぎから身体を壊した。

元々ガリガリだったのに、体重がみるみる落ちてこんな身体じゃ務まらないと判断して店を辞めた。

貯金がかなりあったので、しばらくの間は療養生活を送ることにした。

しかし貯金はあっという間に底をついた。

気付けば、来月の家賃が払えない状態にまで追い込まれていた。

療養中静岡の友達に会いに行った帰り、事故にあって大怪我をした。

あいにく、ジムニーの故障も重なって、修理代と医療費で貯金の殆どを使い果たしてしまったのである。

そこで私は片足を引きずったまま、警備会社に電話して面接を受けた。

最初はヒーローインタビューの両脇に立っているお姉さんの仕事だった。

その頃八王子は酷暑でかなり辛かったが、任務を無事に終えた。

そうしたらウチで働かないか?とお声が掛かったのだ。

私は多摩川競艇場で初の女警備員となって、それはそれは舟券売り場を走りまくった。

しかし日給は四千六百円。

競艇場だけでは食べて行けないので、交通誘導からブランドショップの警備までなんでもやった。

それでも貧乏には変わりはなかったが、水商売で身体と精神をぶっ壊すよりは健康的だった。

その頃から本格的に家で文章を書き始めるようになった。

知り合いが国分寺にいて、アパートを出張の間貸してくれると云うので、多摩川競艇場に近い国分寺へ引っ越した。

交通費が自腹だったから八王子から通うのがキツかったのである。

貯金なんてものはなく、男ばかりの職場で友達を作ることもできず、寂しさは隠し切れなかったが少しずつでき上がっていく生活自体に不満などなかった。

こうして私は家も金も仕事も無い状態から何とか這い上がって今に至る。

これは『破壊から再生へ』の序章に過ぎない。

多摩川競艇場での生活はいつまでも続かなかった。

請負契約だったからだ。

契約が終わって、最高裁判所の警備を任されたが性に合わず。

私はまた路上生活を覚悟でとある理由があって東京を出て富山県に戻った。

簡単にアパートが見つからないのもわかっていたが、ジムニー一台で北上した。

雪の無い季節だったのが救いだったけれども。

 

破壊から再生へ

破壊から再生へ

  • 作者:橋岡 蓮
  • 発売日: 2020/12/04
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)