橋岡蓮 ’s diary

単なる日記でもなければ、単なるエッセイでもない

ヒーロー

私って奴は子供の頃から想像を絶するような環境で生きてきたけど、相当図太いらしい。

踏まれても踏まれても這い上がってくる、まるで雑草魂。

幼少期に親から徹底的にしごかれたから、ブラック企業でコテンパンにボコボコにやられてもグレたり捻くれたりすることがなかった。

若かったし、イケイケドンドンだったから決して上司どもに負けなかった。

札幌を単身で出て、富山県派遣社員寮に入った私は二十四歳。

女だから最初は検査の仕事で入ったんだけど、気付いた時にはハイエースの窓枠のプレス加工を任された。

毎月残業が百五十時間を超える激務。

なんで私ばっかり集中攻撃を喰らうんだよ!!って怒りながらも勤勉な私は任されたことはきっちり片付けて帰るタイプ。

不器用だから慣れるまで大苦戦したけれど、少しずつ上達して時間出来高ナンバーワンになった。

加工現場には女は私一人。

工場創立以来、加工現場では初の女作業員だった。

某自動車部品工場は、大量の派遣社員を安い賃金で雇用し、当時ぼろ儲けしていた。

社員以上に働かされている身としては、社員と派遣社員の「差別」が許せなかった。

県外者であること、女であること、そして派遣社員であることで痛烈な差別を浴びていたからだ。

ある時、私は派遣社員の代表としてインタビューを受けた。

そこで私はマイクに向かってハッキリと言ってやったのさ。

「社員と派遣の差別を失くせ!!」って。

それから私は派遣社員の中ではヒーローだった。

皆が私の部署で働きたがった。

すると今度は憎き上司が私を左遷した。

言葉の通じないブラジル人ばかりの部署のリーダーをやれと。

しかし私は負けなかった。

そもそも工場の仕事で言葉はあまり必要じゃない。

OKなのか、NGなのか、おはようございます、お疲れさまでした、これさえ教えれば和気あいあい。

たちまちブラジル人派遣社員の中でも私はヒーローになった。

上司を挑発するために、ショッキングピンクの鉢巻きにカーゴパンツに真っ白のチビTを着て作業服なんか着なかった。

皆が黒の安全靴を履いていたら私は白の安全靴を履いた。

仕舞いには、そんな私を徹底的に叩きのめすために全員に制服が用意されるようになった。

その時ばかりは周囲から、オマエのせいだ!ってボコボコに叩かれた。

そんな私のことを買ってくれる人も中にはいたが、私の味方をすればするほど派閥から外されるという宿命だった。

だから応援してくれていても、あからさまに味方になってくれる上司はいなかったのだ。

そもそも私は札幌から来た流れ者。

正社員登用の話が来ても他の地元作業員に譲っていた。

気付いた時には私だけが派遣社員で殆どの同部署の仲間が正社員になっていた。

ただ私としては何時まで富山県に居るか自分でもわからなかったからむやみに正社員になるのは会社に対して失礼だと思っていた。

ところがこれが最後の正社員登用のチャンスと云う時に、私は会社のトップの目に留まった。

四年目だった。

何故こんなに有能な人材を放っておくんだと上司はトップからコテンパンに怒られた。

そして私は試しに正社員登用の試験に受けてみた。

当時派遣社員は他部署の人数を合わせると五千人くらいいたのではないだろうか。

その中でたった一人採用された。

この時ばかりは闘いに勝ったと思った。

しかし私の目に映る正社員の仕事振りは酷いものがあった。

今までは自分の仕事に精一杯で周りが見えなかったのだが、正社員と云うものにあぐらを掻いて何でも派遣社員にやらせる光景を目の当たりにした。

サイテーな会社の正社員になってしまったと思って、たった一年で辞職届を出した。

その時初めて憎き上司は私のことをこう言った。

「オマエはこんな小さな枠の中に納まるような人間じゃない。もっと広い世界で勝負しなさい」

その後私はパソコンの資格を取って、小さな会社でライターを経験したのち上京した。

六年間に及ぶ富山県での闘いが終わったのだ。

そう、刀を下ろしたのである。

 

破壊から再生へ

破壊から再生へ

  • 作者:橋岡 蓮
  • 発売日: 2020/12/04
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)