最近あんまり見ていないけど、占いの良いところだけ見て信じるタイプ。
そうやって自分で自分を励ましている。
今年と来年はパッとしないけれど、再来年は好運期だって占い師が言っていた。
「貴女、今の仕事は一生の仕事になるでしょう」
そう言われたのを忘れない。
貴女ならどんなダメ男とでも上手くやって行けるっても言われたっけ。
占いはいいとこだけ信じていれば、ポジティブになれる。
運気の悪い今でもそこそこ成果を発揮できているってことは、好運期が来たらヤバいことになる。
単純馬鹿な私はそう信じている。
私にとってのチャンスってその頃かなぁ。
漠然とだが、そういう予感がする。
それまでどれだけの人が待っていてくれるだろうか。
あと二年踏ん張れば、なんとかなるような気がしている。
だから、それまでに沢山勉強してチカラを付けておこうって話。
どんな占いをしてみても大体のことは当たっている。
若い頃は遠回りの人生を歩むでしょうって。
その通り、若い頃は方向性なんて見えてこなかった。
自分の道がわからないから、とにかく与えられた仕事をがむしゃらにやってきただけ。
何をやっても終わる頃にはそこそこ結果を残してきたけれど、三十五歳過ぎたら急降下した。
結婚していなかったら今頃何してたのかなって思うけど、もしかしたら本は出せなかったかも知れないよな。
三十五歳までは無敵だったのに、それから今に至るまで何もできない人になってしまった。
人間って老いるんだって初めて思った。
今更肉体労働?
たぶん無理。
やってやれないことはないかも知れないけれど、筋力も体力もめっちゃ落ちた。
自分にできることが何もなくなった今、初めて自分の道が見えてきた。
パソコンに向かうことはできるって。
年取っても、文章書いたりすることは私にもできるんじゃないかって。
まぁ、それだけでは食べてはいけないから他の仕事と併用しているんだけど、文章を書くことは好きだから半端ない集中力を発揮できる。
全く書けない日もある。
それは時間的な問題ではなく、創造力の限界。
書いても書いても全然面白くなくて、夜になって、そのまま寝てしまうこともある。
調子が良い時は書き溜めることもできる。
今の目標は、短編集を発売すること。
過去作を綺麗に校正し直して、ちゃんと作品として全国流通させること。
それもたぶん二年後には叶うと信じている。
それまでに私がやるべきことは、とにかく書き溜めること。
そしてできるだけ多くの作品に触れること。
有名作家じゃなくてもいい。
寧ろ、これからの作家の方が参考になるかも知れない。
それでもやっぱり私は今日も偉人のボットを読んでいる。
村上龍が言っていた。
「『俺は必ずやれる』という意思と喜び、それを才能という」
そうなんだよ、そうなんだよ、そういうことなんだよ。
村上龍が言っているんだから間違いない!!
だから、私も必ずやれると言い聞かせる。
諦めなければ終わりは来ないって誰かも言っていた。
とにかく飯が食えてる内は大丈夫だって。
好きなことがあるなら、それを続けるのみだってツイッターにも書いた。
だからこのまま突き進んでも大丈夫。
泥沼のような不安に襲われ、そこから抜け出せずにいる自分をハッキリと自覚はしている。
囚われ、そう、囚われに過ぎないのにそれを自分の道と信じようとしているのかも知れない。
しかし村上龍が言う通り、私も必ずやれると云う意思と喜びを感じることができる以上はやるしかない。
文章を書くということは、一種の病のようなものなのかも知れない。
自己救済の手段に過ぎないのかも知れない。
ただ、意思と喜びを感じることができる以上、私は間違っていないと思いたい。
そう、それしかない。