日曜日の午後、遅めのブランチを済ませた私はシャワーを浴びようかと思ったのだが欲望を抑えられず、村上龍のエッセイ集を読み始めた。
時間という制限が無いのならいつまでも読んでいたかったが、夕方までにはシャワーと日課を済ませなければならない。
ゆっくりと浴びたいと思った私は村上龍のエッセイ集を一旦閉じ、日課を最優先させることにした。
それは何かと云うと、これを書いてしまうことだ。
平日も休日も数々のルーティンをこなすことで一日は終わる。
ドカッと稼ぎたい気持ちもあるが、今最も大事にしていることはやはりルーティンをこなすことにある。
毎日の地道なルーティンが最も大切だと。
本田圭佑は更にこう付け加えている。
「一年後の姿を想像すると地道なルーティンが嫌ではなくなる」
一年後だと?
『破壊から再生へ』が爆発的に売れない限り、私の現状は変わらないだろう。
しかし、この調子で行けば読者は増えていくんだろうなと思う。
いやいや、もっとデカいビジョンを持った方がいい。
もし本田圭佑がここにいたら、そう言うに違いない。
デカいビジョンと云えば、『破壊から再生へ』が増刷されることでもある。
そして私は次作の執筆に励んでいる。
そんな妄想をよくしている。
もっと分かり易く言うならば、私は階段と云うものを一段一段着々と登ってきた。
書き溜めたものを大勢に読んでもらいたいと思っていたら電子書籍の話をもらった。
その後、朗読ライブのようなことをやってみたいと思ったら本当にやることができた。
発売は中止してしまったが、短編集を形にすることもできた。
そして編集者と仕事をすることもでき、それを全国流通させることにも成功した。
何が言いたいかと云うと、想い描いているビジョンは一つ一つ確実にクリアしてきたと云うことだ。
だから本田圭佑が言うように、一年後のビジョンを想像することは非常に重要なのだ。
私にとって一番重要なことは、オファーをもらうことである。
全てのルーティンはそのためにあると言っても過言ではない。
村上龍のエッセイ集の中に「リスク」のことが書いてあった。
家族や世間、企業と云った集合体の中で生きている人はリスクを背負う必要がないから、リスクという言葉を日本語に訳すことができないと。
村上龍先生、集合体に属すことができずリスクばかりを背負って生きている人間がここにいますよ!と言いたくなった。
村上龍は個人で生きる者の応援者でもある。
だから私は彼の本の虜になっているのだ。
約六年前、ドコモショップを辞めて以来企業に属することを捨てた。
つまり個人事業主になったわけだが、どうやって生き延びてきたのかある意味謎である。
生活できずに借金を背負ったこともある。
しかし、これまた不思議なことに完済し、貯蓄することもできた。
私個人的な意見としては、良き出会いを大切にすることによって必要な情報を得て生き延びているとしか思えない。
運とタイミングもまた関係している。
実に曖昧な表現だが、これらは必ずあると思っている。
それを先人は「神様」と呼んでいるのではないだろうか。
また、企業から逸れると云うだけで多大なるリスクを背負っていることになる。
圧倒的に不安定な生活を自ら進んでやる者には、リターンがどこかで必ずやってくるとも思っている。
大儲けするとか、そう云うことではない。
集合体の中にいる人間には決して見ることができない「何か」を手にすると云うことだ。
それが何なのかを村上龍は知っているから敢えて何十年にも渡って、私達読者に向かってリスクを背負って生きろ!と言い続けているのだ。
悪いが、私はもう既に十分過ぎる程のリスクを背負っている。
ルーティンも欠かさず行っている。
月並みだが、希望だけは捨てずに地道な作業を続けて行くのみだ。
いつか私も手に入れてやる。
その「何か」を。