やると決めたら即動く。
お世話になっている方に連絡をし、報告を済ませる。
そして必要な方にはオファーをする。
態勢を整えて、自分にゴーサインを出す。
感性が似ている人にも、即相談。
「実はね、年内に新作を出そうと思っているの」
それに対して想像以上の言葉を投げ掛けてもらう。
私は戴いた言葉をエッセンスとして白紙に向かう。
最高のパフォーマンスができるように、試行錯誤を繰り返す。
大体十月頃には出したいなと考えている。
調べなきゃいけないことは山のようにある。
しかし、それすらをも楽しむことが必要なのだ。
せっかく出すのだから、本当に大事な本にしたい。
『破壊から再生へ』以上に内容の濃いものにしたいと思っている。
処女作と云うものは、永遠に処女作である。
多少稚拙な部分はあるにせよ、読み継がれていくことだろう。
二作目って云うのは真価が問われる。
況してや私はこれをインディーズで出そうとしている。
何故か?
大手出版社から出してみて、考えさせられたことが諸々あるからだ。
これって書いちゃってもいいのかなぁ~。
そもそも私って、メジャーで活躍するようなタイプの人間じゃないような気がしてならないのだ。
実力は磨いていこうと思っているが、先日から何度も何度も言っているように、長い物に巻かれないのが私のスタイル。
だとしたら出版社に頭を下げて、私の本を出してくださいって云うのも何か違うような気がしたのだ。
一度は大手出版社の名前を借りて出させてもらったけど、メリットあったかどうかが謎。
買ってくださった方の殆どは私から発信するSNSを見たからなんじゃないのかな。
謂わば、友人、知人というわけだ。
広告代理店から案件を戴いて幾つか広告を出したが、それについての効果はわからない。
恐らく殆どの方が、二作目を楽しみにしている。
しかし、彼等は大手出版社から出版されたものが読みたいのではなく、私が書いた作品を読みたいと思っているわけだ。
だったらインディーズでいいじゃん、と思ったのである。
もっと謂うならば、私は独立していなければならないと考えた。
大手出版社から出せば、老若男女問わず大勢の人から愛されて今後活躍できると思っていた。
しかし、私が書く内容はこの世の中にいる「少数派」の人達への応援ソングでもある。
売れっ子になる必要はなく、「少数派」に支持されればそれでいいわけだ。
誤解のないように書くが、大手出版社から発売したことは一つも後悔していない。
過去に数冊自費出版しているが、私にとっては処女作を全国流通させることが目的だったから、それはそれでいい。
ウィキペディアにはインディーズについてこう書いてある。
「系列化されていない独立性の高いもの」
まさに私そのものじゃないか!!
そうだよ、そう云うことなんだよ!!
独立してなきゃダメなんだよ、私は。
それじゃなきゃ少数派の人に対する説得力が欠けてしまうんだよ。
いいじゃん、いいじゃん、別にニッポン国民から愛されなくたって、ごく一部の根強いファンがいてくれればそれでいいじゃん。
毎日ブログ書いて、年に一度は作品発表して、それでいいじゃん。
それで知名度がジワジワと上がってくれれば願ったり叶ったり。
それが最も私らしいスタイルなんじゃないのかな?
というわけで、インディーズで作品を発表しようと考えたのだ。
勿論、どこかの誰かが「ウチの出版社から出してください」って言ってきたら考えてやる。
メジャーで活躍できないひがみではない。
いずれは私も村上龍先生のように、メジャーだけれど少数派に支持されるような作家になれればいい。
でも、食べて行ければそれに越したことないんだよな。
たぶんあまりにも儲かったら事業とか始めちゃう。
するとまた方向性が変わってくる。
貧乏だけどチマチマとコンスタントに活動していられれば、それはそれで一つの幸せの形。