nakanakadekinai's diary

単なる日記でもなければ、単なるエッセイでもない

この国の差別

朝からモヤモヤしていたのだが、平常心で仕事をする必要がある。

朝一で友達と話をさせてもらい、戴いた美味い珈琲を淹れて飲んだら嘘みたいに心は晴れた。

たまたまインスタを見ていたら、凄いカッコいいバンドを見つけたので速攻YOUTUBEで聴き、チャンネル登録した。

そうこうしている内に、午前中が過ぎようとしていた。

今月の目標は、新作のコンセプトを決めることだ。

バラエティに富んだ作品集もアリだと思うが、コンセプトが決まらないとタイトルが決まらない。

タイトルが決まらないということは、デザインの制作に取り掛かれないということだ。

あまり時間が無いので集中して取り組もうと思っている。

あと二週間だ。

 

とはいうものの、私には通勤と云うものが無い。

だからエンジンが掛かるまでゆっくり友達と話をしたりすることができるし、好きな時に珈琲を飲みながら一服することができる。

多くの人は時間に縛られて、全て我慢の上で労働しているかと思うと頭が上がらない。

その代わり「月給」と云うものを貰っているのだから、平等と云えば平等だ。

しかし自分にはどんなに厳しくなれたとしても、人に厳しくなどなれない。

ところが世の中を見ているとどうだ。

人を責め立てる人で溢れかえっているような気がしてならない。

とある友人に話を聞いてみた。

どうして日本には希望が無いのか?と。

村上龍がこう言っていたからだ。

 

「この国には何でもあるが、希望だけがない」と。

 

友人曰くこういうことだった。

 

「日本人は人に厳しすぎるから、自殺者が多い」

 

確かにそうだ。

自分が一番正しいと思い込んでいる勘違い野郎が実に多い。

例えばサラリーマンのように企業に属していない人を軽視する傾向にある。

更に友人はこう続けた。

 

「富裕層の中に入ればサラリーマンは馬鹿にされる」

 

ご尤もだと思った。

自分一人で仕事ができる人は、企業に属する必要がない。

俗に言うアーティストなんて、殆ど独立してやっていて、寧ろ尊敬に値するものだと思っている。

しかし、人に厳しすぎる人って云うのは、そういう人達のことすら軽視している。

企業と云う枠組みが無ければ何もできないクセに、何故他人を軽視するのか。

恐らく自分が一番じゃないことを心の底ではわかっているが、それを悟られたくないし見破られたくないから、敢えて他人に厳しくなるのだろう。

つまり本当は誰よりも弱い人間なんだと思う。

それなのに自分より弱い立場の人を見つけて、勝った気になっている。

酷い人の中には自害にまで追い込んで、それをその人本人の責任としてしまうから恐ろしい。

もっともっと社会的な問題なのに、その人が弱いからと決めつける。

コロナ禍で飲食店がバタバタと潰れて行くのを見て、散々そこで飲み食いしてた連中が、とんでもないことを言い出す。

 

「企業で働いていないから自業自得」

 

流石の私も普段は温厚なのだが、身震いするほど腹が立った。

自業自得なんて言葉、どこからどういう発想で出てくるのかさっぱりわからない。

誰も聞いていないのをわかっているからそんなことが言えるのか、それとも本気でそう思っているのか神経を疑ってしまう。

そんな輩は、非正規雇用者に対しても似たような差別意識を持っている。

 

契約社員は休憩をするな!」

 

とか、どうやったらそういう発想になるのか聞いてみた。

休憩中も時給が発生しているからだって。

私から言わせれば、そういうことを謂う輩は、所詮企業に属していないと何もできない人なわけで。

自力で独立して生きている人のことが本当は羨ましいんだと思う。

それを素直に認めることができず、人を蔑むことしかできない。

そんな輩がウヨウヨしているのがこの国なんだろう。

だから自害する人も増える一方だし、なかなか希望を見出せないのではないだろうか。

 

 

 

破壊から再生へ

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  • 作者:橋岡 蓮
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