nakanakadekinai's diary

単なる日記でもなければ、単なるエッセイでもない

逃げ場さえあれば大丈夫

人間は容姿の自信を失うと、どんどん暗くなるように思う。

巷で人気のあるトピックスは、ダイエットや美容関係のものが多いと云うのも自信を付けるためなのだろう。

私は結婚してからストレス性のニキビに悩まされ、改善するために皮膚科へ通っている。

今ではすっかり良くなったが、美肌を保つために通い続けてビタミン剤などを処方してもらっている。

お陰でニキビの悩みは無くなったのだが、それが治ると同時に三キロほど肥えた。

私は若い頃からずっとスリムな体型を維持してきたし、まさか中年太りなどと云うものとは無縁だと思っていた。

ところが四十歳を過ぎて、この一年間で一気に体重は増え、元に戻らなくなってしまった。

酒を止めればいいのかも知れないが、長年に渡って飲み続けているのですっかり依存症になっている。

本当は睡眠薬を使用している人は酒を飲んではならないのだが、私はそのどちらが欠けても眠れない体質になってしまった。

そのくせ、朝はなかなか起きられないのだから困ったものである。

起きてからコーヒーを二杯ほど飲んで、煙草を吸ってやっと目覚めた状態になって仕事を開始する。

もうこれは体質なのでどうしようもないのだが、ダイエットだけは成功させなければならないと強く思っている。

 

露出して歩く年齢でもないのだが、四十一歳はまだまだこれからだと言ってくれる人もいる。

昔ほどのスリムな体型にすることはできなくとも、せめて引き締まったメリハリのある体型を取り戻したい。

そこで一番早いのはスポーツジムへ通うことだ。

しかし、ジムに通ったからといって、理想の体型になれるとは限らないらしい。

そこまで考えると、殆ど泣きたくなるくらい絶望的である。

絶望と云うものはあらゆるところに転がっている。

ほら、こんなところにも絶望があるのだ。

どう云うことかと言うと、先ず、人と会うということに対して臆病になってしまうということだ。

昔の自分を知っているから尚のことそうなるわけで、気にしない人は気にしないのだろう。

 

「私さ~、太っちゃってさ~!!!」

 

って大声で笑いながら元気ハツラツとしている人もいるが、よほど大らかな性格なのだと思う。

 

何が言いたいかと云うと、同じ状況にいても絶望を感じるタイプとそうじゃないタイプがいると云うことだ。

私にとっては三キロ太ったことは絶望的だが、貯金が底をつくことには慣れっこになっているので笑っていられる。

人に依ってはその逆もあるだろう。

先程、絶望とはその辺に転がっているものだと書いたのはそういうことだ。

中には悪夢にうなされている人もいて、朝起きた時絶望的な気分を味わうという人もいる。

最近見ないが、実の父親に侵されそうになる夢を何度も見て、それはそれは絶望的としか言いようがないような体験を繰り返していたことがあった。

きっと頭の中にトラウマとして残っていることがあって、その恐怖と闘っているからそのような夢を見るのだと思う。

仕事をしている夢もよく見ていたが、それもまた最近は見なくなった。

今の生活は絶望的か?と訊かれることが多いが、厳密に言えば絶望的ではない。

何故なら私には自分の部屋があるからだ。

そこに籠ってしまえば、好きな音楽を流し、好きなようにパソコンに向かうことができる。

今日聴いているのはフージーズの『スコア』だ。

約二十年以上前のアルバムだが、これまた私が若い頃売れたアルバムである。

こうやって自分だけの空間を作れるということは絶望的ではない。

どんなに不満があったとしても、自分の部屋に逃げられるからだ。

そう考えると、逃げ場さえあれば希望を棄てずに生きて行けるのかも知れない。

大抵、希望を失った人々に共通しているのは逃げ場がないということだ。

比べてはいけないが、私にとって三キロ太ったことは絶望以外の何者でもない。

くだらない、そんなちっぽけなこと笑い飛ばせばいいのに。

ただ私には、どうしてもそれができない。

 

 

破壊から再生へ

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  • 作者:橋岡 蓮
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