nakanakadekinai's diary

単なる日記でもなければ、単なるエッセイでもない

プレッシャーでハードルを上げる

下手したら、私の人生なんてものはロック被りの演歌になりかねない。

それを如何にロックさせるかは、私の腕にかかっている。

ベースはやはりこれまでの人生経験になると思うのだが、ロックと共に生きてきたから常にBGMが存在するわけだ。

それらを巧く活かせるように書きたいと思う。

最近はこうして文章を書く時に、音楽を流し、リズムに乗ってタイピングするようになった。

そうすることでグルーブ感のある文章になるのではないかと考えている。

そんなことを考えながら、先程ブランチを済ませた。

目玉焼きに皮なしウインナーを二本、それと納豆と珈琲だ。

ダイエットしているので白米は控えている。

それが正しいのか間違っているのかは、賛否両論なので未だにわからない。

ただ私の場合は休日は付き合いで外食することが多いので、平日は質素にしている。

 

そう云えば、私の文章はユニークさに欠けると言われたことがある。

だからお笑い番組を観ろ、そういうアドバイスをもらった。

あまり好きじゃないのだが、仕方なくお笑い番組を観ていた。

芸人次第なのかも知れないが、私にはちっとも面白いと思えなかった。

況してや、お笑い番組を観ることによって笑いのセンスを磨くことができると云うのはちょっと違う気がしてならなかった。

一言で「面白い」と言っても、そこにユーモラスな表現が入っているから面白いと云うのは、路線が違うように思う。

めちゃくちゃ暗い作品を面白いと言ってくれる人もいるだろう。

私もどちらかと云えば、そっち派だ。

ハッキリ言って、そっちの方が得意だったりする。

私の作品に於いては、ジョークみたいなものは要らないような気がしてならない。

必要なのは、それよりもリアリティだと思う。

かといって難解な描写は要らないと思っている。

描写イコール技術になるのかも知れないが、「敢えて」描写をしないことでグロテスクにならず多くの人にとって読み易いものになる場合もある。

 

私は今まで自分が書いた作品を誰かに読んでもらうことが極めて少なかった。

しかし、今回は何人かに読んでもらって本当にこれでいいのかを吟味してもらうことも必要だと思っている。

かといって、読んでアドバイスをくれる人が何人もいるわけじゃない。

前回出した『短編集』のように誤字脱字があったり、構成に問題があったりすることは避けたい。

本当は編集者みたいな人がいればいいのかも知れないが、私の場合自分の作品はあくまで自分に決定権があると思っている頑固者なので、あまりにも批判されれば喧嘩になってしまうだろう。

ただ、私をいい意味で鍛えてくれる人は必要だ。

金さえ払えば、フリーの編集者を雇うことはできる。

それじゃあ自費で出版する意味が無くなってくる。

ではどうすればいいのかと考えた時、自分で自分のハードルを上げることだと思った。

読んでくれる人からプレッシャーを戴くことで、自ずとハードルは上がる。

処女作は良い作品になったと自負している。

幻冬舎の校正者の方に手伝ってもらったのもあり、読み易い作品にすることができた。

校正は本当に苦労した。

昔の文体だったので、それを一から修正するのに大変な時間を費やした。

今度は、そこまで苦労はしないだろう。

変換ミスや、ダブり、誤字脱字に気を付けながら執筆することになると思うからだ。

次作の完成度によって、私の将来は決定付けられると思っている。

ほらね、自分で自分のハードルを上げているでしょう。

今までの失敗や戴いた沢山のアドバイスを元に、とにかくいい作品を作ろう。

あれ?昨日新作のことは暫く書かないって言ったばかりなのにまた書いちゃった。

どうやら頭の中がそのことでいっぱいらしい。

また今日も、フージーズを聴いているからかも知れない。

『スコア』を聴いていると、タイピングが進むんだよな。

 

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破壊から再生へ

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  • 作者:橋岡 蓮
  • 発売日: 2020/12/04
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)