橋岡蓮 ’s diary

単なる日記でもなければ、単なるエッセイでもない

途方に暮れる話だぜ!!

嫌だったら出て行けばいいじゃん!と簡単に言う人がいる。

正社員になってフルタイムで働けば、アパート代くらい出せるだろうと。

確かに何もかも捨てて、食べるためだけに生きようとすればそれは可能だ。

しかし、捨てられないものがあるから忍耐を選んでいる。

ただそれだけのことだ。

難しい話ではない。

何をそんなに執着しているのかと云うと、執筆活動だ。

一年に一度のペースでコンスタントに作品を発表し続けようと思っている。

それだけは捨てるに捨てられない。

そのために必要な経費はバイト代で何とかなっている。

殆どのインディーズのミュージシャンや作家達は、自分にできることと両立して活動しているものだと把握している。

その道一本で生計を立てられるようになるには、地道な下積み時代を呆れるような長い期間費やすか、大きな賞を取るしか方法はないようだ。

 

先日、野暮用でバスに乗っていた時に、とある人が書いたnoteを読んでいた。

小説家志望の人は、仕事を持ちながら時間を削って本を読み、執筆活動を行って新人賞を狙わなければならない。

そんな当たり前のようなことが書かれていた。

確率で云うと、三千分の一ほどだそうだ。

そんなことはその道を志す人ならば誰もが知っているわけで、何故わざわざnoteに書かなければならないのだろうかと思った。

実に狭き門なのだとも書いてあった。

それもわかりきった話だ。

なんだか夢も希望も与えてくれない文章を、どや顔で書いているのが実に滑稽だった。

勿論、コメントしたりはしないが、非常にがっかりしてしまった。

どうせ書くなら、下積み時代の楽しみ方とか、インディーズでも熱い活動を繰り広げているアーティストの紹介とか、大作家先生と呼ばれる人々を挑発するような文章の方が面白いのに。

 

私如きが偉そうなことは言えないが、下積み時代もなかなか楽しいものだ。

多少金は掛かるが、先ず第一に自由である。

気に入ったデザイナーさんとコラボさせてもらったり、タイトル、帯、あとがき、何だって自分の自由にできるわけだ。

自分だけで書くも良し、誰かに依頼するのもアリだろう。

中身に関しても編集者や校正者が入らないので、独自の世界観や技術をそのまま責任持って提供することになる。

勿論、フリーの編集者はウヨウヨしていると思うので、お金を払ってお願いするのも良いと思う。

私は、自分にできることは全部自分でやろうと思っている。

参考資料も全部自分で集める。

構想も何から何まで自分で決める。

この楽しさは半端ではない。

性分として、何かを作っていないと気が済まないみたいだ。

仮にこの作業を死ぬまで続けたとしても、悔いは残らないと思う。

若しくは誰かの目に留まって、もっと多くの人に読んでもらえる機会に恵まれるかも知れない。

そればかりは神様だってわからないだろう。

 

小説家志望の人達は文壇に立ちたいのか、印税生活を送りたいのか、ステイタスが欲しいのか、ただ単に小説が好きなのか、それとも真っ当に読者に伝えたいものを持っていて自信があるからプロを目指しているのか、その辺にバラツキがあるような気がしてならない。

私の場合は小説家志望ではないが、読者に伝えたいことがあって、それを読みたいと思ってくれる人がいるかも知れないという根拠のない自信がある。

だけどメジャーでなければならない理由が今のところ見つからない。

インディーズの仕事は、楽しんでいるからだ。

ただ、読んでくれる人は一人でも多く増えて欲しいと願っている。

だからこうして毎日文章をアップしている。

私という人間に興味を持ってほしいと云うのが正直なところ。

かといってそのためにメジャーになる必要性は見えてこない。

理屈を探しきれない。

生き生きして、充実感を得て、飯が食えればそれでいいのではないだろうかと私などは思ってしまうのだ。

三千分の一なんて、途方が暮れる話だぜ。

文壇に立ったらどんな良いことがある?

人生書けて目指す価値は何処にある?

それを教えてくれる大作家先生はいないのか?

そんなうやむやの世界にしか見えない。

 

 

破壊から再生へ

破壊から再生へ

  • 作者:橋岡 蓮
  • 発売日: 2020/12/04
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)