nakanakadekinai's diary

単なる日記でもなければ、単なるエッセイでもない

身も心もボロボロになっても

ところで貴女、ちゃんと食べていますか?そう訊かれることが多々ある。

確かに私は夕飯以外殆ど食べない。

食べたとしても、目玉焼きと納豆とかその程度である。

週末は外食することが多いので、平日は控えているのだ。

それにしても毎日自宅にいる女がちゃんと食べているかどうかを心配してもらえるって云うのは有難い話だよなとつくづく思う。

同時に、そんなことで心配をかける私はどんだけだよ、とも思う。

そもそも、毎日自宅にいる女は朝ご飯から始まり、昼食、夕食と作るのに忙しいはずだ。

朝食べたと思ったら、あっという間に昼になり、スーパーへ買い物へ行って夕飯の支度をする。

私は朝起きたらヤクルトを飲み、珈琲を淹れ、ブラックで二杯飲んだ後牛乳を飲みながら仕事を開始する。

気付いた時には午後三時、四時になっているわけで、今日も空腹ではあるが食べずにこの文章を仕上げることを優先している。

つまり、何も食べていないのだ。

最近煙草を吸うたびにちょっとした罪悪感に駆られることがある。

こうして何も食べずに煙草ばかり吸っていると、身体に良くないよなと思うからだ。

死ぬのは怖くないと言いながら、実は誰よりも長生きしたかったりする。

しかし、自分のことを自分でできなくなるまでは生きていたいと思わない。

今、施設に入っている方や介護を必要とする人だって生きたくて生きているわけではないだろう。

逆にまだまだこれからって云う江戸アケミみたいに若くして不慮の事故で亡くなってしまう人もいるから人間の運命なんて本当にわからないよな。

私は取り敢えず、あと二十年は生きていたいと思う。

勿論死にたいと思ったこともあったが、簡単には死ねないというのも良くわかっている。

自害するのは簡単かも知れないし、生き延びることの方が辛いことが多いかも知れない。

しかし、自害してそのまま魂を持って行かれる人はそこで人生を終える運命だったのだろう。

逆に未遂で終わって生き続けなければならない人もまた、そういう運命だったのだろう。

私みたいに不健康極まりない人間に限って、案外身体が丈夫にできていて長生きしてしまったりするのかも知れない。

昔は還暦過ぎた人は長生きしたように見えたが、最近私の周りの平均年齢が高いので、まだ還暦じゃないか、などと勝手に思ってしまうのである。

私が四十一歳だから還暦の人とは二十歳も違わないわけだ。

すると恋愛対象にまで入ってしまうから恐ろしい。

親と大して変わらない年齢でも、本人同士が良ければ何ら問題は無いということになる。

まぁ、先立たれるのを覚悟できるかどうかに係っているのかも知れないが。

私の場合は、自分は最期孤独になるんだと達観している節がある。

だから私よりある程度年上でも恋愛対象になってしまうのだ。

別に年下が嫌だと言っているわけではない。

ただ、年下と一緒になった場合、こんなババアでゴメンねみたいな気持ちになってしまいそうな気がする。

まぁ、私がガキ臭いので年下の人とでも気が合えば上手く行くのかも知れないが。

 

無音のリビングで空腹に耐えながら、これを一気書きした。

冷蔵庫の中が殆ど空なので、仕方なしにこれからスーパーへ行く。

外出するのは一体何日ぶりだろうか。

安行桜を見に行った以来だ。

スーパーは近所なのだがちょっとしたお出掛け気分なのでシャワーを浴びてから行こうと思っている。

卵と牛乳を切らすことは致命的である。

こればっかりは仕方がない。

今日はダウンタウンブギウギバンドの『身も心も』という曲を聴いた。

聴けば、あぁこの曲かと直ぐにわかったが、一体何年振りに聴いたのだろうか。

そう考えると、月日が経つのは早い。

最近、二十年以上前の話を描写している。

それこそ『身も心も』ボロボロになった話だ。

よく覚えているよな~と自分で自分に感心する。

それだけ月日はあっという間に過ぎて行き、全てはまるで昨日のことのように感じられるということだ。

さて、シャワーでも浴びるか。

 

 

破壊から再生へ

破壊から再生へ

  • 作者:橋岡 蓮
  • 発売日: 2020/12/04
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)