nakanakadekinai's diary

単なる日記でもなければ、単なるエッセイでもない

注目されたいのか自分を貫きたいのか

頭脳警察を聴いていると熱くなるので、曲をPANTA&HALに戻した。

私は良くも悪くも影響を受けやすいようだ。

静かな曲を聴こうということで選んだのは『1980X』。

実は先程までとある方と電話で話をしていた。

色々と心配して頂き、また、応援してくださった。

そして、沢山のアドバイスを戴いた。

電話の内容は書かないが、今日テーマとして取り上げたいと思ったことがある。

 

「自分が書きたいものと、読者が求めているのは違うかも知れない」

 

確かに。。。と考えさせられた。

と云うのもコロナ禍で明るい話題に飢えている人が多いのでは?ということ。

かといって、私が書く内容は決して明るい話題ばかりじゃない。

寧ろ悔しい想いをしたけど見返すことができたとか、こんな逆境を乗り越えたとか、そのようなものが多い。

どうやって乗り越えたのかを書くことで読者を勇気づけることができるのではないかと短絡的に考えていた。

今までは自分が書きたいと思ったことをそのまま文章にしてきた。

それは未だにそうである。

散々アドバイスを戴いて、考えさせられたにも拘わらず、結局白紙を前にしたら自分が書きたいことしか浮かばない。

そもそも、私は無知である。

今、この時代にどういうものが注目されていて、どういう人が売れているのかリサーチしていない。

売りたい気持ちもあるのだが、それより独自の世界観を大事にしたいみたいな気持ちが強い。

それは、私の独立精神から来るのだそうだ。

それも非常に納得する。

特に頭脳警察のようなマニアックな曲を好んで聴いているところも、恐らく流行とかそういったものに逆らおうとしている節があるのだろう。

 

でも考えたら、これって私の中では永遠のテーマかも知れない。

恐らく今後私が売れ線を狙うようなことはないかも知れないが、読者に寄り添った文章は書けるようになりたい。

簡単なようで難しい話だ。

もしかしたら、このようなことを真剣に悩んでいるのは私だけではないのではないかなぁ。

私に限らずクリエイティブな仕事に携わっている全ての人が独自性か、それとも読者目線かの狭間で闘っているような気もする。

ここまで書いていても、一体自分が何をしたいのかがまだわからない。

これだけは言えるのだが、私が書いているものって云うのは少数派にしかウケないという自覚はある。

果たしてそれでいいのかどうかだ。

自分の好きなことだけやって飯が食えるならこれほど良いことはないが、一体どれほどの人に共感してもらえるのだろうか。

そうやって考えて行くと、なんだか心細くなって行くよな。

じゃあ私は何を基準に本を買っているのかと云うと、タイトルと裏書の文章を見て決めている。

それと一番重要なのは「誰」が書いたかだ。

くどい程言っているが私は村上龍氏のファンなので、内容も知らずに彼の新作だからと買うことが多い。

だけど中には私には合わないようなものもあったりする。

とはいえ、新作を読んだという満足感はあるわけだ。

 

あくまでも私の場合だが、非常に天邪鬼で自分は少数派であるという意識を持って生きているので、少数派が好むような本や音楽に飛びつく傾向がある。

少数派だからいい、万人受けしているからダメだということは一切ないが、捻くれているのだろうか。

何が言いたいかと云うと、ある程度独自性を出して勝負できる環境を求めているということだ。

そしてそれが見つからないから、それだったらインディーズでいいという結論になる。

何が言いたいのか少々混乱していてわけがわからない文章になってしまった。

目には見えないものを信じることと似ているのかも知れない。

支持するも何も、それはその人それぞれの感性と心が決めることであって目に見えるものじゃない。

フォロワーが何人いようが、本当のところはわからない。

そういうことなんだよな。

やべー、今日は支離滅裂だ。

 

 

破壊から再生へ

破壊から再生へ

  • 作者:橋岡 蓮
  • 発売日: 2020/12/04
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)