nakanakadekinai's diary

単なる日記でもなければ、単なるエッセイでもない

敢えて自分を空っぽにするということ

『スシロー』で百円寿司を五皿食べて業務用スーパーへ行って帰宅したらまだまだ時間が早かったので演劇のDVDを観て過ごした。

『スシロー』でお茶を飲み過ぎたのか、あまりにも喉がカラカラだったので、こっそり隠れて自分の部屋で缶ビールを一本飲んだ。

普段は流石に昼から飲むことはないので、ちょっとした罪悪感に駆られながらも喉が渇いている時のビールは格別だった。

昼間からビールを飲むことは、別に悪いことではないのだけどね~。

 

さてと、てな感じでトムウェイツを聴きながら、今日も戦闘モードに入る。

とは云うものの、書くことがあり過ぎてどれから書いていいのかわからない。

てか、考えることが多すぎる。

それなのに全然頭の中が整理できていない。

こういう日はどうする?

一つ一つ片付けて行かなきゃならないと思って、先ずは方向性を見直そうと思った。

私は「我が道をゆく」でいいのかについても考えさせられた。

私と近しい人は私を励ます意味でも、思うがままに書けば良いと言ってくれる。

しかし、中には別の意見もあって、やはり賞を取らなきゃダメだと言ってくださる方もいる。

賞か。。。確かに。。。でも私の作風で賞など取れるのだろうか。

そんな中で、こんなアドバイスがあった。

 

「取りに行くから逃げられ、自分を空っぽにしたら人様の居場所になって逃げても追いかけてくるのでは?」

 

ハッとさせられた。

確かに、私の周りには遠ざけても遠ざけても人が寄ってくるという人がいる。

その人は確かに自分を空っぽにしている、そう思った。

何かを目指すでもなく、何かを取りに行くでもなく、一度自分を空っぽにしてみようか。

その時、「空っぽにしたら人が寄って来てくれるかも知れない」という欲は完全に捨て去ることが肝心だ。

そもそも、自分を空っぽにするということは簡単ではない。

私の年代で自分を空っぽにできる人などいるだろうか。

悟りの境地に立てる年代ではないかも知れない。

 

一番いいのは、独自性も追求しつつ、ファン心理も把握していて、時代も意識することだと、とある人からアドバイスを戴いた。

私もそれには同感だった。

それができるようにならなくてはならないのだが、この手の悩みをいつまでも抱えていると滅入ってくる。

トムウェイツは、英語なので何を歌っているのかわからないがちょっと弱りつつある心にエッセンスを注入してくれる。

ピアノの音が、傷口に沁みる。

 

さぁ、しんみりしていても仕方ないからとにかく新作のことを考えよう。

しんみりするのは薄暗い部屋でトムウェイツを聴いているからかも知れない。

そう思った私は、ミッシェルガンエレファントのライブに変えた。

ダメだ、ダメだ、元気を出さねば。

まぁ、自分に合った賞を探してみて、ダメ元で応募してみよう。

 

とは云うものの、筆が進まない。

『スシロー』へ行って満腹になったからではない。

たぶん、動揺しているんだろうなぁ。

自分がよく見えなくなったのかも知れない。

これから先、どうしようかなぁ~って。

今まで通りの私でいいのか、変わるべきなのか。

まぁ、人間なんてそう簡単に変わらないけれども「行動」を変えることはできるよな。

もっと分かり易く言えば、勉強不足ってことだろう。

直観と自分を信じて進むのはいいが、少なくとも業界のことや自分の仕事に携わることに関しては徹底的に調べた方がいい。

だけど根本にあるものは、きっと自信のなさなんだと思う。

自分に自信を付けるってかなり難しい。

そもそも自信なんてものはある時とない時があって、不安定なものだ。

どんなに活躍している人でもそうじゃないのかな。

私は私らしく!と思える時もあれば、変わらなければならないみたいな大きなプレッシャーと闘うこともある。

今できることは何だ?

とにかく美味いワイン飲んで、煙を吸って、よく寝ることだ。

なんだか春の嵐らしい。

札幌から父親が会いに来るので川口駅へ行ってくる。

昼間から焼鳥屋でチビチビと。。。

 

 

破壊から再生へ

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  • 作者:橋岡 蓮
  • 発売日: 2020/12/04
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)