nakanakadekinai's diary

単なる日記でもなければ、単なるエッセイでもない

世の中に於ける自分のポジション

私、食べ過ぎかしら。。。と思いながら寿司屋の暖簾を潜ってしまった。

野暮用が済み、ちょうどお昼時だったので、仕方がないと云えば仕方がない。

ワンコインで寿司が食えるのを知ってから、何度行っただろうか。

瓶ビールさえ我慢すれば本当にワンコインで済むのに、私はいつもいい気になって瓶ビールを頼んでしまう。

キンキンに冷えていて、これがまた美味いんだ。

五百五十円を払う価値はある。

えい、月一のことだ。

たまには自分にご褒美を。。。と思ったが、ご褒美を上げるようなことは何一つしていないことに気付いた。

ただメンタル面に於いては、それなりに我慢していることが多々あるので精神を解放してやることは必要だろう。

ふと思った。

争いごとを好まず、言いたいことがあっても黙って我慢してしまうのは父親譲りなのかも知れないということに。

これを気が弱いと云うのだろうか、それとも優しさでもあるのか。

この問いに関しては以前にもここで書いたような気がする。。。

それにしても私は母親のことがトラウマで、ヒステリックな人を避けて生きてきたのだが、どうして似たようなヒステリックなタイプと一緒に暮らすことになったのか不思議だ。

母親との生活に比べれば今の方がマシだとか、完全に我慢慣れして麻痺している自分がいる。

筋は通すけれども温厚な人って、世の中には五万といるはずなのだがなかなかそういう人に巡り合わない。

まぁ、これも一つの修行であり宿命みたいなものなのだろう。

 

さてさて、人生に悩みは付き物だと云うが、ここ最近は悩むことが本当に多かった。

少々混乱していたので、それが文章にも表れてしまっていたような気がする。

私が欲しいものは一体何なんだろう。

村上龍氏曰く、それがわかっていない奴は永遠にそれを手にすることはできないと。

恐らく私の場合は、まだまだ自分に自信がないのだと思う。

それは書き足りないし読み足りないからだ。

つまり、勉強不足なのだ。

だから「どうせ私なんて。。。」となりがちである。

社会や世間は厳しくて、そう簡単には私の望みを叶えてはくれない。

私が欲しいのは金でも名誉でもない。

これも以前書いたが、私のような者は月に二十万円もあればなんとかやって行けるタイプだ。

しかし、印税だけで毎月二十万円稼ぐのは確実に困難。

だから安定的な収入が大事になってくる。

私の場合は大事な副業すら、稼げる時とそうじゃない時とバラつきがあるのでなかなかここを出て行けないのもある。

じゃあ仕事を探そうかと思っているのだが、これと云った仕事がなかなか見つからない。

これって所謂「運命」だと思っている。

今まではいとも簡単に仕事を見つけてきた。

ブラック企業ばかりだったが、それでも生活することはできていた。

恐らくまだ私にはチャンスが訪れていないのだと思う。

見つかった時がチャンスのような気がしている。

無論、今の時点で幾つか抱えている仕事は片付けなければならないし、新作の執筆もやらなければならない。

何もかも終えた頃合いを見計らって、ポンと新しい仕事が決まるような気もする。

友達も言っていたけど、焦ってはならない。

今までの経験を踏まえて、あと二十年間働ける職場を探すことが重要だ。

ピンチはチャンスとよく言うが、私はまだまだピンチではないのだろう。

仕事があって収入があること自体、ピンチではない。

前にも書いたが、依頼されている詩集の制作を終えたら新作の執筆に集中しようかと思っている。

才能とは最初からあるものではなく、あとから「できる」ものだそうだ。

私の場合は書いても書いても自信に繋がらないのだが、それは世間を知らないからだと云うことも言える。

世の中のレベルを知ることで、自分が置かれているポジションを把握することができると誰かが言ってたな。

あぁ、恐ろしや。

自分のポジションなんてものを知ってしまった暁には、死にたくなったりしないだろうか。

 

 

破壊から再生へ

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  • 作者:橋岡 蓮
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