nakanakadekinai's diary

単なる日記でもなければ、単なるエッセイでもない

自分の器が小さいと感じること

幸手」というところまで桜を見に行ってきた。

てか、全然咲いてないじゃん!

まだまだ五分咲きといったところだった。

自宅からジムニーで一時間ちょっと。

途中、サイゼリヤでペペロンチーノを食べた。

ん?味がしない。

私は濃い味が好みなので、塩と唐辛子をかけまくった。

それでも何かが足りていない。

それはオリーブオイルとガーリックだったことに気付いた時には、もう完食していた。

やはり無難なたらこスパゲティかアラビアータを頼めば良かったと後悔しても時すでに遅し。

取り敢えず空腹だけは満たされたということで「幸手」に向かった。

平日だということを忘れていた。

ランチメニューを頼めば良かったなぁ、サラダとスープが付いてきたのになぁ、なんてジムニーの中で考えていた。

BGMはドアーズの『モリソンホテル』だ。

何度聴いたかわからない。

そろそろすり減ってもおかしくないくらいだ。

個人的にはセカンドアルバムが一番好きなのだが、ジムニーの中で聴くことはあまりない。

部屋でじっくり聴くのがいい。

そういう意味で『モリソンホテル』はドライブに適しているのかも知れない。

 

とにかく「幸手」は人混みだった。

平日の昼間だったので、主婦や老夫婦が多かったような気がする。

土日になったら開花も進んで更に混むのだとしたら、五分咲きだったが平日来て良かったかも知れない。

満開になれば、桜と菜の花畑のコラボレーションがもっと楽しめるのだろう。

満開の桜は近所で堪能した方が良さそうだ。

あまり詳しいことは知らないが、様々な桜の木が植えてあったようだ。

しだれ桜の写真を撮りたかったのだが、これまた五分咲きでいい写真が撮れなかった。

私なんかは、桜を見に行くというよりも、桜の写真を撮りに行っているようなものだ。

この世には奇特な人もいて、私ごときの写真を楽しみにしてくれている人もいるから尚のこと張り切るのである。

そういう人は僅かでもいいんだ。

私を調子に乗らせてくれる人がほんの一握りいるだけで、何かこう説明できないようなエネルギーが湧いて来て、文章と写真のコラボを楽しむことができる。

大抵文章には関係ないような写真を載せるのだが、今回は「一応」桜を見に行ったので桜を載せるけれども。

 

帰宅する前に古着屋へ寄ったら一着五百円だったので衝動買いしてしまった。

ピンク色のサマーセーターと、Gジャンと、Tシャツと、ロングスカートを買った。

それなりに春を意識して買ったものばかりだ。

帰りには雨が降り始めたので、急いで帰宅してこれを書いている。

自分では最近面白い話が全然書けていないや、としょぼくれていた。

ところがツイッターにこういう呟きがあった。

面白いものを書こうと意識していることは、見抜かれてしまうのだと。

だから何も意識せず普通に書いた方が面白かったりすると。

それを受けて、私は何も考えずに今日は文章を書いている。

確かに読んでいる人を喜ばせようとか、注目されたいとか、そういう下心は見抜く人は見抜くだろうな。

どちらかと云えば、私の場合はその時の精神状態やテンションに関係するのだが、過去話は自分で書いていて楽しい。

だからといってそれが読み手にとって面白いのかは別問題。

それにしても、ガンガンアクセスが上がる日と、うんともすんとも言わない日があるのは何なんだろうか。

内容に大差はないような気がするのは私だけか?

SNSって難しいなぁ~。

というか、アクセスなんてものは目安にはなるかも知れないけれど、単なる自己満足であることは承知しているのだが。

アクセスを気にする自分を顧みて、器小っせ~な!と思うこともある。

しかし、「ファン心理」というものは把握していて損はないのではないだろうか。

時代に合わせなくても、どういうものが好まれるのかは理解した上で好きなことを書けばいいんだと思う。

桜から随分と話が逸れたな。

ただ、「観光写真」にだけはならないようにと、それだけは気を付けて撮ってきた。

それはここの文章が単なる日記では終わらないように心掛けているのと同じことかも知れない。

 

 

破壊から再生へ

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  • 作者:橋岡 蓮
  • 発売日: 2020/12/04
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