単刀直入に言うと、勉強会に参加させて頂くことになった。
もしかしたら、私が本を書いているのは自分に与えられた天命を全うするための手段かも知れない。
作家として生きるのではなく、本を書くことは別の目的を果たすためのものなのかも知れないと云うことだ。
こればっかりは、まだまだ分からない。
だけど、私はこう伝えた。
「将来は指導者になりたいんです!」
つまり物書きとして死ぬまでやって行きたいわけではないと云うことだ。
指導者になるための手段として本を数冊執筆することが必要なのかも知れないなと思ったのだ。
故に、指導者を育てることに長けている方の元で勉強することにした。
と、小難しいことを言っているようだが、私がやりたいことは極めて単純だ。
例えばARBとかしょっちゅう書いているけれど、現在聴いている方はとても少ないようだ。
ストリートスライダーズとかミッシェルガンエレファントくらいになると今でも聴いている方が多いようだが、それでも少数派だ。
私が今までの人生に於いて、諸先輩方からARBやPANTAを教えて頂いたように若い人々へ継承したいのである。
それは、私の著書にも書いてある。
「もったいない精神」と云うものだ。
友達からもらったプレゼントの箱を捨てるのが勿体無いから小物入れとして捨てずに取ってある。
雑誌に載っていた写真があまりにも綺麗だから、切り抜いて壁に飾ってある。
漁師がイカを大量にあまらせてしまったが、捨てるのは勿体無いから燻製にした。
卵が沢山あまっていたので捨てるのは勿体無いから厚焼き玉子にした。
せっかく出会ったのに疎遠になることが勿体ないから手紙やメールを書くようになった。
それらは全て、人や物に対して価値を見出していることに他ならない。
溢れんばかりの愛情があるからこそ、「もったいない」と感じることができるのである。
つまり、価値のない人間や物など存在しない。
世の中のビジネスって云うのは「もったいない精神」から成り立つのではないだろうか、そういうことを書いた。
私は縁を大事にするタイプだ。
せっかく出会って、気が合うのに疎遠になるのはもったいない。
だからその方の本は躊躇うことなく買って読ませて頂くし、出会った会社との縁を切りたくないから事業に参加させて頂く。
その源になっているものは、紛れもなく「もったいない精神」だと思う。
この人!この人素晴らしい!
そう直観で感じたら、不器用ながらも縁を繋ごうとする。
私はどちらかと云うと、部下には恵まれてきたが上司には恵まれてこなかった。
慕ってくれる人は大勢いたのだが、私を導いてくれる人がいなかった。
それは自分の力不足によるものだと思っていた。
私を謂わば「ひいき」するのは、彼等彼女等の恥になるのではないか。
そんな劣等感から何がなんでも自分でやろうと云う気持ちが強かった。
だけど年齢を重ねたせいもあって、開き直りも入ってきた。
素直に教えてもらえることは教えてもらおう、人の謂うことは聴こう!
その結果、少しずつ何かが変わってきているような気がする。
今回、勉強会に参加させて頂くことを決めたのもそういうことだ。
私には上から引っ張ってくれる人が必要なのだ、素直にそう感じたからだ。
上から引っ張ってくれる人とはどういうことかと云うと、私のことを成長させたい、いい方向に導いてあげたいと思ってくれる人のことだ。
これは遂に私に訪れたチャンスだと感じた。
先方の方も仰っていたが、三年後の私のことが楽しみだと。
断っておくが、大金が掛かるようなビジネスに参加するのではないからご安心を。
あくまでも勉強させて頂くと云うことだ。
ハッキリ言って、私には膨大な量の本を読む時間がない。
だからこそ、勉強会は私にピッタリなのだ。
上手く伝わっただろうか。
取り敢えず、今日も面接に池袋まで行ってくる、てか。