橋岡蓮 ’s diary

単なる日記でもなければ、単なるエッセイでもない

絶望を救うものは愛!

「アンタってやってること最低だけど、心汚れていないよね」

 

この言葉は度々言われるのだが、私としては最高の褒め言葉だと思っている。

心が汚れていないと云うのはこういうことだ。

ピュアなものを手放すまいと頑なに自分を守り、何者にも染まらない。

確固たる意志の強さと、揺るぎないポリシー、そして溢れんばかりの愛と優しさを持ってしか「汚れなき心」を保つことはできない。

偏見かも知れないが、私が周りを見渡す限り、絶望から這い上がる強さを持っていない人は愛に飢えているように思う。

それを弱さと一括りにしてしまうのは簡単だが、そうではない。

愛とは自分の中にあるものであって、決して他人から与えられるものではないのだ。

愛してもらえる人が強いのではなく、愛することができる人こそ強者になれる。

結局、なんだかんだ言っても人間を救ってくれるのは愛でしかない。

金と云うものはあくまでも、愛を本物にするための手段。

本物の愛って云うのは無償の愛のことを言う。

例えば仲の良い友達がいても、その人にとって一番でありたいなどと云うのはエゴでしかない。

わかり易く言えば、愛する人にとって自分は付属品でも構わない。

自分こそが、その人を愛しているのであれば見返りなど求めない。

恋人同士や夫婦に於いても、私としては同じことが言えると思っている。

しかし、自分のことを愛してくれないような人を敢えて選んで惚れてしまうと云うのは、自分に問題があるのではないだろうか。

片想いと云うのは、自分とは不釣り合いな相手を選んでいるからこそ起こる現象だと思っている。

私の場合は、脈もない人のことを好きになることが先ずない。

勿論、相手が既婚者だったり、圧倒的に歳が離れていたりすることはある。

ただ、それらは私にとっては大した弊害ではない。

結果的に戸籍上結ばれなかったとしても、お互いに想い合うことは可能だと考えている。

昨今、不倫して叩かれている芸能人が沢山いるけれど、本気で愛し合ってしまったのなら何故さっさと配偶者と別れなかったのか、と思う。

大抵子供を理由にしているけれども、愛を貫く姿勢を見せた方が子供からは尊敬されるのではないだろうかと勝手なことを考えてしまうのだ。

ウチの母親は不倫していたけれど、父親と絶対に別れようとしなかった。

私としては、愛していない父親と一緒にいるより、愛人との愛を全うして欲しかった。

つまり離婚して欲しかったわけだ。

万が一、母親が愛を全うしていたら、現在の私と母親との関係も変わっていたかも知れない。

そんなことを子供ながらに想ったわけだ。

 

単純に、絶望から這い上がれない人に欠けているのは愛だと言った。

しかし、他人のことを心から愛する能力に欠けている人もいることもまた把握している。

口では愛しているとか好きだとか言っていても、本当にその人を愛するには培ってきた能力が要ると私は思っている。

愛に満ち溢れた人と云うのは、そこら中にいるものではない。

私の場合はどうかと云うと、嫌いな人はいても恨むということはない。

近づきたくない、付き合いを絶ちたいと思う人はいても、その人々へ対する愛は消えない。

たまに想い出しては元気にやっているのかな?などと思い浮かべたりする。

だけど生きて行くために、自分にとって不利な人は遠ざける。

万人を愛してはいるけれども、付き合う人は選ぶ。

究極なことを言えば、旦那にここまでクソミソにされても恨んではいないし嫌いでもない。

ただ、私が愛情を注ぐべき人は違うのではないか。

この人!って云う人が必ずいるはずだ。

ところが私は結婚と云うものに絶望していない。

結婚ってとても良いものだと思う。

ずっと一緒にいられるからだ。

仮に次に結婚する人と上手く行かなくとも、懲りないだろう。

しかし、今度は相手をよく知った上で結婚することにしよう。

そういうことだ。

 

 

破壊から再生へ

破壊から再生へ

  • 作者:橋岡 蓮
  • 発売日: 2020/12/04
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)