nakanakadekinai's diary

単なる日記でもなければ、単なるエッセイでもない

堂々と過程を書いた方が面白い

いやいや、何故かめっちゃ疲れていて日中これが書けなかった。

かといって寝ていたわけでもないのだが、パソコンに向かうものの作業が捗らなかった。

なんやかんややっているうちに、ゴールデンウィークが終わるじゃないか!

最終日は「今だけウニが百円!」のかっぱ寿司を食べに行ってくる。

あ~ぁ、中途半端。

どうせ仕事が捗らないのなら遊びに行けば良かった。

若しくは一日くらい寝ていれば良かった。

それなのに、結局私はパソコンの前に座ったまま溜め息ばかり。

先月忙しかったのもあって、精神的に疲れているのだろう。

肉体的疲労よりも精神的疲労の方がシンドイ。

こんな状態で、外で肉体労働などできるのだろうか。

主治医はこう言っていた。

 

「働きに出れば嫌な人がいたりして、旦那さんと一緒にいる以上にストレスが溜まって体調を崩すのでは?」

「ハイ。。。」

「少なくとも夜勤は絶対にダメですからね。夜勤は体調を崩してしまう可能性が高いのです」

「ハイ。。。」

「週に三日ほど、日勤で働くのがベストだと思うのですが。。。」

「ハイ。。。」

「せっかくなんとか体調を保っているのだから」

「ハイ。。。」

 

わかりました。

そう言って、病院を後にした私。

それでも日勤で週三日ほどの都合のいいバイトがなかなか見つからないのだ。
働けるなら何でもいいわけではなく、私はあくまでも執筆と両立したいので、自分に合った条件で仕事を探すのは難しいのかも知れない。

ぶっちゃけ、労働をしなくとも稼げるシステムのようなものがあればいいのだが、世の中はそんなに甘くはない。

況してや労働をしない者のところに好運は舞い込んで来ない。

ホワイトカラーでもブルーカラーでも、なんでもいいから働くことは必要だ。

何故なら働くということは人間の本質を見抜くことに繋がるからだ。

雇用形態などなんだっていいのだ。

雇用形態と云うものは、自分の働き方に依るものだから自分に合わせればいいと思う。

私の場合は正社員としてガッツリ稼ぐようになれば、それに越したことはないのだが、その代わり執筆がなかなかできなくなってしまうかも知れない。

まぁ、生活に困るくらいなら正社員になった方がいいのだが。

いよいよ決まらなかったら、ハローワークへ行こう。

 

ところで、どうやら私みたいに仕事を決めるまでの過程を書く人は少ないとのこと。

結果事後報告の人が多いようだ。

「仕事が変わりました」

「結婚しました」

「離婚しました」

「引っ越ししました」

んじゃなくて、経過を書けば面白いのにと思ってしまう。

結果を事後報告しても、それを読んでいる人からすると「へぇ~」で終わってしまうからだ。

そして結果事後報告をして、ほとぼり冷めてから溜まり兼ねていた愚痴を限定記事などで書くから面白くないのである。

最初っから、過程を書いて読者を楽しませてくれよ!と思うのは私だけだろうか。

「本当のこと」は、アカウントを変えたり、ハンドルネームを変えたりして書いているようだが、書かなきゃ気が済まないのだろう。

だけど、正体は暴きたくないのだろう。

気持ちはわからなくもないが、何かが違うように思ってしまう。

どうして自分が思っていることを堂々と人前で話せないのだろうか。

文章を書くって云うのは自分の醜い部分を晒す勇気が必要なのではないだろうか。

何をビビってんのかな~と思う。

それとも公にすることとプライベートなことは分けているのだろうか。

公にできることは書き易いだけで、人々が読みたいのは書きにくい部分なのかも知れないのに。

私はエッセイのような日記のようなものを書いているが、離婚までの愉快な道のりを書く。

それを読んで不快に想う人がいたとしても。

全てオープンにしていないと、伝えたい人に伝わらないと思うからだ。

しかし、私は身内以外の人には興味がないので身内ネタしか書かない。

この場合、他人も身内に含まれる場合がある。

つまり信頼していると云うことだ。

それはそれで筋が通っているでしょ。

 

 

破壊から再生へ

破壊から再生へ

  • 作者:橋岡 蓮
  • 発売日: 2020/12/04
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)