橋岡蓮 ’s diary

単なる日記でもなければ、単なるエッセイでもない

どん底から這い上がるには

書きたいことが書けない時は、筆が一向に進まない。

でも書いてしまうのが私だったりする。

一つ納得の行かないことがある。

とある読者の方の一ご意見だが、私は自分の傷口ばかりを書いているとのことだ。

安住の楽園に辿り着いてもいないのに、傷口を人々に晒していてそれは乾くことが無くずっと続いてしまうのではないかと。

旦那様とも未だに一緒にいるじゃないか、もう彼女のことがわからないとのことだった。

いやいや、ちょっと待てよ!

私は自分の痛々しい過去をある意味勲章だと思っている。

傍から見れば、そうは取れないかも知れないが、当本人の私は自分の過去を傷口だなんて思っていない。

確かに痛々しいかも知れない。

しかし、何故私がそれを文章にするのかがイマイチ伝わっていないようだ。

ハッキリ言って、世の中には私より痛々しい過去を持っている人は五万といる。

その人々は皆が皆、立ち直り、這い上がったのかと問いたい。

中には崇高な愛を見つけられずに同じ過ちを何度も繰り返している人や、自害を重ねている人だっているじゃないか。

そういう人々に対して、私が持っている実体験を伴った情報と云うものはリアルに説得力があると思っている。

だから本に書くのだ。

勿論、文章にして道のりを確かめることで私自身が勇気づけられ救われるということもある。

中途半端な絶望は誰の中にでも存在する。

しかし、そこから希望を見出して立ち上がった人と云うのは実は稀だ。

言葉は悪いかも知れないが、人並みに好奇心を抱きながらも絶望に一度落ちてしまえば這い上がる自信がないので、落っこちないようにブレーキを掛けているのが人間なんだと思う。

要は傷口を作らないようにと守りに入っているのだ。

勿論、それが一番正しい生き方かも知れない。

ただ、自分を守ってばかりいたら真実を見失う。

わかり易く言えば、体当たりで勝負した人しか本物になれないのだ。

それは苦労をしろと言っているのではない。

そこを勘違いしている人が多々いる。

私個人的には苦労をすると云う表現よりも、見ている世界を広げるという言い方の方が適していると思う。

私の場合は、若い頃は何をやっても許されると思い、警察に捕まるギリギリのことまでチャレンジした。

幸い、警察のお世話になることはなかったが、普通の学生なら見ることがなかった世界を見てきたように思う。

それはそれは辛かった。

それらの実体験は決して傷口にはなっていない。

寧ろ胸を張って堂々と本に書けてしまう。

何故かと云うと、私の中には目には見えない信頼と云うものが形成されたからだ。

付き合いが長くなる人もいれば、最近出会った人もいる。

だが、彼等彼女等は私の過去を聞いても私を嫌いにならないし、よく謂えば更に評価してくれるようになるだろうという根拠のない自信がある。

もっと謂えば、私が書いた本を絶望の最中にいる人に読ませたいと思ってくれるはずだ。

そうすることで、私と彼等彼女等の関係はより良いものになって行くだろう。

つまり、私はどんなにダメな男と結婚しようが付き合おうが孤独には決してならないと云うことだ。

頻繁に会ったりすることが困難でも、私は回り回って救われる。

心の闇って云うのは希望とセットになっている。

闇を知らない者に希望は見えてこない。

現在様々な困難に直面している人が大勢いるだろう。

金銭的な問題だけではなく、心の在り方について彷徨っている人々もいることだろう。

そんな葛藤を乗り越えて行く姿を誰かが見せなきゃならない。

弱い者の代わりに強い者は叫ばなくてはならない。

強い者とは、愛するということがどういうことかを知っている人のことを言う。

無性の愛を以て生きられる人のことを言う。

その辺については、詳しいことは私の本に書いてあるので読んでみて欲しい。

久々の一気書き!!!!

 

 

破壊から再生へ

破壊から再生へ

  • 作者:橋岡 蓮
  • 発売日: 2020/12/04
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)