執筆する時間はないが、隙間時間にこれを書いてしまうことにする。
先程まで本を読んでいたのだが、私はどうやら読書をすると無性に文章が書きたくなるようだ。
だけど今日は考えていることを巧く纏められる自信がない。
何を考えているかと云うと、「諦める」って云うことだ。
諦めるって一見するとネガティブな発想のようだが、私は本当にやりたいことをやるためには必要なことだと思っている。
私の場合は、間違えて結婚はしてしまったものの、正社員になることを諦めた。
組織に属してしまうと、方向性が大きく変わってしまうと思ったからだ。
だから派遣やバイトを転々としながら、なんとか生活を支えてきた。
いいじゃない、正社員で働きながら執筆活動をすればいいじゃない!と仰る方も中にはいるだろうが、組織の中に安住するということは、私にとっては不利なのである。
これで子供でもいれば別問題なのだが、そうでない私は組織を必要としていない。
勿論、執筆だけでは生活して行けないのでバイトはする。
でもそれは組織に属しているとは言わない。
つまり、本当の道を貫くために、あらゆるものを捨てて生きているのだ。
例えば、ARBの石橋凌はなにがなんでも音楽で食べて行こうとして、定職には就かなかったそうだ。
私が言いたいのもそう云うこと。
定職に就いてしまえば、まぁこの生活も悪くないと思ってしまうのを恐れてのことだと思う。
だから、定職に就くことは諦める。
生活が苦しかろうが、貧しかろうが、己の道を貫くために諦める。
そうすることによってハングリー精神は成長する。
中には家族も捨て、結婚も捨て、遊びをも捨てる人だっているだろう。
私の場合は、道を間違えて結婚してしまったけれども、果たして私にとって結婚は必要なのかと悩んでいるところだ。
旦那云々ではなく、結婚と云うものが私にとってマイナスになるようなら捨てなければならないよな。
そう考えている最中なのだ。
つまり、諦めると云うことは実はとてもシンプルでポジティブな発想だと私は思っている。
自分にとって不必要なものを全部削ぎ落すと云う表現もできるかも知れない。
あらゆるものを捨てた時、とても身軽になる。
しがらみと欲望だらけでは、飛ぶべきところまで飛ぶことができない。
このことについては、誰かから教えられたのではなく、身を持って体験した中で導き出した答えのように思う。
己の道を貫く以外の選択肢を残さない、ということでもある。
捨てるだけ捨ててしまえば、残された道を歩む以外に方法はない。
私はそれを本来は狙っているのだ。
結婚は間違えてしてしまったものだとは言ったものの、一度や二度、経験しておいて無駄にはならないことだとも思っている。
況してや、結婚したからこそなんとか食べるものには困ることなく本を出すことができたのだから、その上には感謝もある。
しかし、この考え方はここだからこそ書けるのであって、サラリーマン一筋の旦那に言っても理解されないだろう。
だから私は何も言わない。
もはや、理解してもらいたいなんて気持ちはそれこそ諦めているからだ。
今、目の前にあることに集中するために間借りさせてもらっているような気持ちでいる。
家賃の代わりに、家事をしている。
とある人はこの世は終わりに向かっていると仰っていた。
私も漠然とそんな気がしている。
よく、○○のために死ねたら本望だ!みたいなことを言う人がいるが、それだよそれ!と思うことがある。
私は世の中最後になったら、誰にも会わずに多くの方へのお手紙として文章をアップするだろう。
そして好きな酒を飲んで、一服するだろう。
何が言いたいかと云うと、いつも通りの生活を送るということだ。
即ち、私は自分のやりたいことを追求しているのではないだろうか。
見たい景色も、会いたい人も、食べたいものもない。
こうして文章を書いて読んでもらうことが私にとって一番重要なこと。
そう思っている。