nakanakadekinai's diary

単なる日記でもなければ、単なるエッセイでもない

素直になることの重要性

野暮用を二軒はしごしてきた。

空き時間があるので、ドトールでこれを書いてしまおうという計画の元、珍しくノートパソコンを持参して行った。

それなのに、見事に落ち着かなかった。

音楽が聴けない環境であるということは良いことなのだが、気が散って何も書かずに帰って来てしまった。

やはり私は家派なのだろう。

自室ではなく、誰もいないリビングが一番集中できるということがわかった。

あ~重たかった。

ついでに買い物なども済ませたので、大量の荷物を抱えて家路に着いた。

静かなリビングは私にとっては最適の場所。

同居人が帰ってくるまでに、書き上げてしまおう。

 

とある方から本を薦められて、朝一で本屋へ行った。

目当てのものがダイレクトに棚に並んでいたのを見た時は感動した。

アマゾンで買っても良かったのだが、直ぐ手に入れたかったのだ。

その方からのメールを確認したのは朝起きた時。

レビューを見たり、あらすじを読んだりすることもなく、真っ先に本屋へ行って即買いした。

買って初めて裏書のあらすじを読んだほどだ。

何が言いたいかって、素直に相手を信頼し、真っ先に行動に移すことがどれほど大切かということだ。

私が真っ先に行動したことは信頼関係を更に深めることに繋がる。

人から好意で薦められているにも拘わらず、多くの人はレビューやあらすじを読んで本当に自分が欲しいものかを確かめる。

それって相手に対して、非常に失礼なことだとは思わないか?

ここで私が言いたいのは、「素直さ」だ。

人に言われたことやアドバイスは素直に聞き、実行に移す。

また、自分の中にある成長したいという渇望に対する素直さ。

自分一人のチカラではこれ以上成長できないと悟った者にしか、その素直さは備わらないかも知れないが。

私はこの歳になるまで、やるだけのことはやった。

しかし、現実はくすぶったままだ。

世の中は甘くないこと、自分のチカラ不足、及び、勉強不足を痛感している。

だからこそ、偉人の教えを素直に受け入れ、実行することにした。

即ち、私流で云えば「ツワモノ」と呼べる人が沢山いるのだから、教えを被ることで、一皮剥けたいと願っているのだ。

それもまた素直な感情である。

 

よくセミナーや勉強会などを馬鹿にする人がいるが、私は真逆の意見だ。

参加することに意義があるのではなく、それら勉強会などを主催している側の人と繋がることに意味があるのだと思っている。

過去に私は「企画塾」と云うものに通っていた。

しかし、授業そのものは殆ど聴いていなかった。

そんなことよりも重要だったのは講師の方と信頼関係を結ぶことだったからだ。

何故なら彼は元コピーライターで、私の文章を添削してくれていたからだ。

授業でも度々取り上げてくれたりしていた。

「企画塾」と云うのは経営者を育てるためのものであって、私には関係が無かった。

それでも休むことなく通い続け、元コピーライターならではのセンスを自分なりに吸収した。

その後、上京して真面目に文章を書くようになったので、私の中では初代恩師としている。

会社の事情で彼は富山県を去り、その後地元である群馬へ帰ってしまった。

私の上京後、東京の町田のさくら水産で酒を飲み、それからしばらくして高円寺で飲んだのが最後だ。

私は恩師には極めて従順なのでとても可愛がられたが、神奈川県の旅館で住み込みで働くと言って姿を消してしまった。

今頃どうしているかなとたまに想い出しては、どこかの土地で生き生きと生きていることを願うことしかできないのだが、感謝している。

この感謝する気持ちも、突き詰めると素直さになる。

疑いの心を持って人に接することも重要なのだが、自分で見極めた人に対してはその心は捨てなければならない。

素直さを持って接した時、初めて私の情熱が相手へ伝わり、成長の手助けをしてくれる。

私はそう信じている。

 

 

破壊から再生へ

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  • 作者:橋岡 蓮
  • 発売日: 2020/12/04
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)