nakanakadekinai's diary

単なる日記でもなければ、単なるエッセイでもない

血で書くとは?

この二日間、ずっと執筆作業をしているが、めっちゃ楽しいんですけど。

頭の中にあるものを活字にしていく作業は痛快でもある。

ロックンローラー』は、私だけのものではない。

勿論私が書くのだが、多くの方の元に渡るよう羽ばたいて貰わないと困るわけだ。

だから何度も言っているが絶対に失敗できない。

全ては『ロックンローラー』で真価が問われるようになる。

つまり発売後の私の仕事に大きく影響するということだ。

だからこそ、私はこの作品に懸けている。

況してや、この作品が広まればそれだけ前作を読んでくれる方も増えると思っている。

今は想うがままに書き綴っているのだが、一通り書き終えたらどんどん肉付けしたり削ったりしていく。

そうして来月半ばからは編集作業に入る。

三者に読んでもらって、もっとこうした方がいい等のご意見を頂戴する。

そして夏の間に校正に入る。

発売は十月だ。

十月以降は、自費出版したい人のサポートの仕事をさせて頂く。

私が手探りで掴んできたスキルを存分に発揮できたらいいと思う。

そうこうしているうちに、私も書きたくなってまた本を書くだろう。

私の人生を劇的に変えるのが『ロックンローラー』と云うわけだ。

とある方曰く、「血で書く」と云うことだ。

血で書けば、多くの方を震撼させることができるそうだ。

私なら血で書くことが、できる。

 

私は上京するまでの三十年間、何の目的も志も持たずして生きてきた。

一言で謂うならば、それはとてつもなく寂しいことであり虚無の中を生きることでもあった。

自分は何のために生きているのかわからなかった。

一年間だけ務めた小さな会社でライターの仕事を任せられるまでは、文章を書くという行為そのものに縁がなかった。

そもそも、何故未経験の私がライターなどを任せられたかと云うと、事務職があまりにもできなかったからだ。

つまり、所謂左遷に遭ったのだ。

それがまさか私の中に眠っていたものを目覚めさせる結果になるとは誰も予想していなかった。

先ず任されたことは、社長は忙しいから社長の代弁でブログを書くということだった。

私は出社してから自宅に帰るまで、とにかく社長を観察した。

そしてあたかも社長が書いたようなブログを書いて皆を笑いの渦に巻き込んだ。

図に乗った私は、自分のことを書いてみたくなって個人ブログを立ち上げた。

それが私の全ての始まりだ。

 

人間には得意不得意があって、自分にできることは限られている。

二十代の頃はレジ打ちがなかなか上達しなくて左遷された先が魚屋だった。

そこで私は圧倒的な売上を誇った。

それと同じように三十代に突入したばかりの私は事務職ができないという理由でライターに左遷されて目覚めたのだ。

不得意な分野があって良かったと心底思った。

これでマルチな人間だったら、本当の自分に出会えなかったかも知れない。

書くということに出会った私は生きることに貪欲になった。

自叙伝的なものを書くまでは死ねないと思ったからだ。

生きる目的が半生を綴ったものを残すことになってからは、とにかく無知ながら書く練習をした。

恥知らずと言われながらも、毎日書き続けた。

その延長線上に今がある。

これからの未来も今の延長線上にある。

以前も書いたが、私は書くことを止めたら生きる目的を見失うだろう。

何故なら書くために生きているからだ。

何の学も無い私だったが、せいぜいこのレベルまでは書けるようになった。

だから三年後はもっとレベルアップしていることだろう。

似たようなことを最近書いた気もする。

執筆中、特に小説を書いている時は、このようなエッセイは調子が悪い。

とある作家の方は小説執筆中はエッセイは書かない方がいいと断言してる。

器用にこなしている方もいるが、私は極めて不器用だ。

できないことが山のようにある。

くどいようだが、だからこそ自分が好きな分野に出会えたのだ。

つまり、自分はダメだと悲観的になる必要はないということだ。