nakanakadekinai's diary

単なる日記でもなければ、単なるエッセイでもない

母は強し!

毎月第一日曜日は墓参りの日と決まっている。

旦那と義母と三人で、義父の墓参りをした後ご飯を食べて帰ってくる。

ついでに食糧品の買い出しを済ませてしまうので、なんだかんだで帰りが遅くなる。

つまり、何もできないのだ。

夕飯を食べた後、これを書く程度のことしかできない。

まぁ、月一のことだし義母も楽しみにしているから仕方ないのだが。

月曜日からはバイトがいよいよ始まる。

それについてはまた明日にでも書こう。

朝早く起きてアップする予定だが、午後になったら蓮さんは忙しかったんだなと思ってくだされ。

 

ところで、墓と云うものについて、考え方は個人差があると思う。

私は少し前までジムモリソンに多大なる憧れを持っていた。

今でも彼のことは大ファンなのだが、ああやって死んだ後もファンの方々に来てもらえるっていいよな~と思っていた。

私にもああいう墓があればどんなにいいだろうと。

ところが最近、そういう気持ちが薄れてきた。

私が死んだらどこかの海にでも捨ててくれて構わない、そんな風に考えるようになった。

この世に対する未練が段々となくなってきたのだ。

冷めてる?

別に子供がいるわけでもなし、誰か特別な人がいるわけでもなし、大切な人は皆私より先に逝くんだと思ったら、なんだかどうでもよくなってしまった。

ただ義父は幸せ者だよな、とは思う。

毎月墓参りをしてもらって、あの世で満足していることだろう。

一応私は義母がお金を払ってくれて、共同墓地に名前がある。

だけど、結婚生活もいつまで続くのかわからんし、その辺に捨ててくれた方が清々しいや、みたいな気持ちになってしまう。

 

昨日も書いたが、私は将来孤独になる覚悟をしている。

ぶっちゃけいつ死んでも構わないくらいに思っている。

自分の才能も大体この程度だってわかってきて、『ロックンローラー』に全身全霊で取り組んで、その後編集・校正の仕事に精を出し、気付いたら六十代。

なんか人生ってもっと輝かしいものだと思っていたけど、結構虚しいよななんて考えてしまっている。

若い頃は何でもできる気でいたのだが、私ができることは本当に限られているように感じる。

まだ若いのに何言ってるの?と言われそうだが、確実に現役は終わった。

できることならば、限られた人にしか会いたくない。

髪型でも変えれば自信が付いて、気持ちも変わるのかなぁ~なんてね。

何でそんなに悲観しているのかと云うと、『ロックンローラー』を書いていて、これ以上の作品は書けないだろうと悟ってしまったからだ。

本来の目的である自伝的小説を書くというものが達成されたら、新たな目的が見つかるまでこんなことを言い続けているかも知れない。

人間は簡単には死ねないから、無理矢理生き甲斐のようなものを探したりするんだろうなぁ~。

そう考えたら私も子供がいた方が良かったのかも知れないが、欲しいと思ったことがない。

常に身軽でいたいという気持ちを優先させてきた。

それにしても「母は強し」というくらいだから、きっと母親と云うものは私のような軟弱者ではないのだろう。

まぁ、私の母親は軟弱者だが。

私と同じく太宰治が大好きな人だった。

恐らく捉え方は真逆なんだろうが、唯一の共通点といえばそこくらいかな。

私ははっきり言って出来の悪い子供だったから、母としての喜びも少なかっただろう。

そんな母親を見て育った私は、子供を産んだら不幸になるという先入観を持ってしまったんだな。

何れにせよ、私はこのまま自由に生きて行く。

そして静かに静かに死んでゆく。

限界まで粘るが、ある程度のところまで行ったらもう裏方に徹するだろう。

文章を書くのは好きだから、書いているかも知れないけどね。

もう少し、自分の人生を見つめ直した方がいいのだろうか。

もしかしたら、私くらいの年齢以上の人は、自分の衰えを痛感して同じようなことを考えているのかも知れない。

若い人でもわかる人はわかってくれるんだろうか。