友達のアドバイスによると、手の震えはパーキンソン病かも知れないとのこと。
それを聞いて色々調べてみた。
確かに手の震え、手足のこわばり、運動神経の低下、姿勢を保てないなど色々ある。
原因は?と調べてみると、妙に納得した。
私の場合、幼少時代から今に至るまで、苦労し過ぎたようだ。
「若い頃の苦労は買ってでもしろ!」
とは云うものの、限度があるということだ。
重労働と呼ばれる激しい肉体労働に加え、人間関係に苦しみ、扱われ方に怒り、貧困に喘ぎ、とにかく暑さと寒さに耐えてきた。
そのような環境は一時的だったらこんなことにならなかったかも知れないが、ちょっと苦労をし過ぎたようだ。
これについてどう思うだろうか?
私は確かにその日その時その瞬間を全力疾走してきた。
完全燃焼してきた。
裏を返せばこうだ。
散々コキ使われていただけ。
安い給料で重労働をさせられる。
しかし、皮肉なことにそういう職場にはそれ相応の美学があった。
最近はそれを「支え合い精神」と呼んでいる。
何故かキラキラした瞳をしていた。
誇りを持って、遣り甲斐を感じて仕事をしていた。
だから高い給料もらって鼻高々にしているヤツらと一緒に働くより楽しかった。
だから私は給料が安いなどと文句を言ったことはない。
今のパン屋さんでも同じことが言える。
それにしてもこんな歳でパーキンソン病になったかも知れないなんて、苦労し過ぎた証拠だろう。
今思えば、症状が出始めたのは三十代後半だ。
出会う人のほぼ全員が私を見て、馬鹿にした。
「蓮ちゃん、動作がゆっくりだよね!ロボットみたい」
いやいや素早い動きができないんだっつーの。
だけど三十代後半になって、皆が皆指摘してくるのに対して、それを土地柄のせいにしていた。
この土地が自分には合っていないのだと。
ところがそうではなかったようだ。
あらゆるところで動作が遅いとかロボットみたいだとか笑われたが、無礼なヤツだとしか思わなかった。
どいつもこいつも失礼極まりない。
でもさ、もし私の動作が人並みで、笑われるようなこともなかったら結婚してなかっただろう。
外の世界に自分の居場所を求めることができただろう。
いっそのこと、文章を書くのなんてやめていたかも知れない。
だとしたら、皆に会えなかったわけだしな。
ということはこれで良かったということか。
但しこれだけは言いたい。
私は「若い頃の苦労は買ってでもしろ!」と言ってきた。
しかし、それは訂正させてもらいたい。
「若いうちに苦労を経験しておいた方がいい」だな。
いつまでも苦労を続けていると、確実にその歪みは表れる。
どんなにポジティブ思考で明るく生きていたって、身体は正直だ。
そんなこと私が言うのも変な話だが、身体を大事にするという意味がなんとなくわかった気がする。
完全燃焼したいけれども、何ごとも限度がある。
まぁ、人間はいずれ死ぬんだけれど、自ら短命になる必要はない。
況してやパーキンソン病って将来認知症になったり介護が必要になったりするんでしょう。
たぶん私は酒も煙草も止められないのだが、治るものなら治したいよな。
今はまだ新人だからいいけど、周りを見ていたら皆素早い動きをしているもんな。
今のままならクビになるよなぁ。
それにしても、私って今までよっぽど辛かったんだろうな。
私には正直言って、当たり前の生活や当たり前の幸福がわからない。
だから、私の友達は困惑するのだろう。
とはいえ、本当にわからない。
まぁ、死ぬ時不完全燃焼にはならないだろう。
ただ、当たり前の幸せを知らずに死んで行くのはどんな気分なのだろうか。
一度くらい優雅に生きてみたいものだよなぁ~。
大器晩成であって欲しいよな。