橋岡蓮 ’s diary

単なる日記でもなければ、単なるエッセイでもない

ブレようがない精神とは

友達と半日遊んできた。

めっちゃ久し振りのこと。

居酒屋やサイゼリヤで色んな話をして、最後はドトールでコーヒー一杯飲んで帰ってきた。

やっぱ、仕事ばかりしていてはダメだよなぁ~。

月一くらい思いっきり遊ばないと。

本当はもっともっと遊んでいたかった。

しかし、私もこう見えて一応主婦なので泣く泣く帰宅してこれを書いている。

仮に主婦じゃなかったとしても、これを書くためにお酒をセーブして、羽目を外さないだろう。

やはり仕事だろうが、遊びだろうが、日課はこなさなければならない。

もしかしたら、朝起きて「蓮さんの文章読みたいな!」と思ってくれる方がいるかも知れない。

いや、いなかろうが書くことに変わりはない。

自分に課したルールだからだ。

誰のためでもない。

かといって自分のためでもない。

万が一、読んでくれる人が一人もいなかったとしても、私は書く。

そこまで行っても、毎日決められた時間にアップできるように、ちゃんと公開すると思う。

事実、よく覚えていないが十数年前はフォロワーさんは一人もいない状態で約二年間以上毎日書き続けていた。

その状態は、傍から見ればある意味病んでいるらしいが、病んでいてもいいのだ。

異様な光景だって云う話だろ?

しかし、私はとっくの昔に覚悟を決めていたようだ。

売れるとか売れないとか、プロになるとかアマチュアだとか、私にとっては大した問題ではない。

一生売れなくても、書き続けることに変わりはない。

日記で良い。

その日会ったことや思ったことを大体千五百文字程度に纏める作業を死ぬまでやっていたい。

そこに理由などない。

ハッキリ言って、私の中で最優先事項だからだ。

他のことは後回しでいい。

一つ理由があるとすれば、そうやって書き続けていれば方向性を見誤るということはないと思っている。

軸がブレようがない。

とある方曰く、人間は流されるものだそうだ。

ところが私はなかなか流されない。

正確には流される方法がわからない。

自分を曲げる方法もわからない。

妥協の仕方を知らない。

何故なら自分の中に確固たるものがあるからだ。

『破壊から再生へ』にはその辺のことが書いてある。

テーマは幾つかあるが、一つ例に挙げると、

 

「無防備に無邪気で笑っていられるためにはどうすればいいのか」

 

ということだ。

私は心を開くと、お喋りしたくて仕方なくなる。

LINEはダメで電話派と言っているのも、ただ単にお喋りがしたいだけかも知れない。

根本が寂しがり屋だからかも知れない。

そんな私にとって一番辛いのは無関心。

こちらは心を開いて無邪気にお喋りしようとしていても、ピシャっと窓を閉められる。

それは相槌を打たなかったリ、喋っている私の顔を観なかったり、テレビを観て笑っていたり。

それで私は気付いてしまう。

関心が無いのだと。

 

そもそも、私が文章を書くのが好きなのは、フォロワーさん達と本当は無邪気にお喋りしたいだけかも知れない。

かといって、誰もいなくなっても書くというのはパソコンが友達だからだろう。

話かけているつもりになれるからだ。

パソコンの前では、私は無邪気にお喋りができる。

況してや、ここは私の部屋。

好きな写真を飾り、好きな文章を載せる。

こんなに楽しいことはない。

コメントなど頂けたりすると、めちゃくちゃハッピー。

成功とか、そんなものはどうでもいい。

今後、どんな状況下に置かれようが、誰と一緒にいようが、旅行に行こうが、キャンプへ行こうが、飲みに行こうが、私は書く。

それは人生の中で私が唯一見つけたもの。

揺るぎないものを一つ持っていると、ブレようとしてもブレようがないと云うことに最近気付いた。

根が暗いんだか明るいんだかわからないが、書かなくなったら私の価値は半減すると思っている。

だから、最期まで書く。

何者にもならず、誰にも依存せず、ただ書くだけ。