バイトを終えて、『ロックンローラー』を書いていたら知らない電話番号から電話が鳴った。
出てみたら、実母からだった。
実母とは幼少時代から折り合いがつかなくて、喧嘩を繰り返した挙句、お互いのために距離を置くことにしてから十年以上経つ。
正直に書くと、私は両親から逃げるように生きていた。
悪いことしているわけでもないのに、逃亡者のような生活を送ってきた。
それは両親が憎くてそうしていたのではない。
両親にとって、私は邪魔者だと感じたからだ。
いやいや、私を産んだことで父親と離婚できなかったから、私を産まなければ良かったと言われ続けたのだ。
そして、両親から言われた一言に傷付き、私は泣きながら逃げた。
「お前は一人で生きて行け!」
私を産んだのはお前らのエゴじゃないか!!!
いいよ、私は一人で生きるよ。
その代わり、葬式すら行かないからな!!!
それが最後だった。
それから今日に至るまでの十年間、私は孤独の中を彷徨った。
人間と云うものに失望し、部屋と仕事の往復だけで友達すら作ろうとはせず、ひたすらパソコンに向かって文章を書くという生活を送ってきた。
結婚したのは三年前。
戸籍が変わったのがきっかけとなって、両親に住所がバレた。
それからは父親が会いに来るようになった。
だけど私は母親の様子をずっと気にしていた。
父親とは再会して和解できたものの、母親はどうなんだろうかと。
私に対して、まだわだかまりを抱えているのだろうかと。
父親に訊いてみても、何も答えは返ってこない。
複雑な関係だったもんなぁ~。
モヤモヤしたまま三年間という時が過ぎ、半ば諦めていた。
しかし、私は母親をずっと見てきてこう思っていた。
「最後に頼れるのは私しかいないのになぁ~」
父親は交友関係も広く、一人で生きて行けるタイプ。
母親は人間関係が極めて苦手で、ずっと家に居るタイプ。
穏やかな時はとても賢母なのだが、一度タガが外れるとヒステリックになったりパニックになったりして、手に負えないのだ。
私は結婚を機に、外の世界に友達を作るようになった。
無関心な旦那に耐えられず、SNSを通じたりしながら仲良くできる人を狭いながらも増やした。
お陰様で、今では理解を示してくれる人々に囲まれて生きている。
弟もとても良い奥さんとの間に可愛い娘ができて幸せに暮らしている。
気掛かりなのは、母親だけだった。
そんなある日、『破壊から再生へ』を通じて一人の男性と出会った。
彼は、私より圧倒的に年下なのだが私にこう言ったのだ。
「蓮さんは家族問題を解決しなくては。。。」
家族が一度全員集合すれば話は丸く収まると、私はずっと思っていた。
ナイスタイミングでそんなことを言われたものだから、プレゼントと一緒に手紙を書いた。
「もし良かったら電話をください」
それから約一週間経って、電話が鳴ったのだ。
案の定、父親に対する愚痴から始まったのだが、よくよく聴いていると私が抱えている悩みと一緒だった。
だから私は結婚と云うものをしてみて、初めて母さんの気持ちがわかるようになったよ!と言った。
旦那さんはどんな人?何故結婚したの?と訊かれたので正直に答えた。
「優しい人と無関心な人は見間違え易いのよ。蓮も見間違えたのね」
そしてこう続けた。
「私は父さんの話を聞いてくれる人がいないのよ。一人の孤独よりも、二人の孤独の方が辛いものがあるわよね。アンタも電話してきて、思いっきり愚痴りなさい」
これが母親の愛情だと思った。
四十一年間掛かったけど、結婚してみて良かった一番の理由は、母親と悩みを共有できるようになったことだと思った。
これが良き夫だったら、母親の気持ちは理解できなかっただろう。
甘え下手な私だが、母親を頼って話を聞いてもらうことも親孝行かな。
神様はやはり私を導いてくださったんだ。
私には母がいる!!!
そう思った。