nakanakadekinai's diary

単なる日記でもなければ、単なるエッセイでもない

私の願いは皆の願い

時間があったのでゆっくり書こうと思っていたのだが、ゆっくりし過ぎて時間が無くなってしまった。

またかよ!

 

最近は全く違和感を感じないのだが、以前はよく読んでくれる方の私に対する願いと、私独自の願いが噛み合わないことがあった。

例えば結婚する時も、猛反対されたのに突き進んでしまった。

それで後になってから、こんなはずじゃなかったと言ったら、ほれ見たことかと反感を買ったり離れて行った人が大勢いた。

それについては私に非があると思うからいいのだが、『破壊から再生へ』の出版を機に離れて行った人もいるので、幾ら私は読んでくれる人のために生きていると言っても難しい。

況してや読んでくれる人は皆がそれぞれ違う人格を持っている。

蓮さんには元気でいて欲しいという人もいれば、さっさとくたばれと思っている人もいることだろう。

まぁ、私自身嫌われている自覚はないのだが。

嫌われたとかそういうことではないのだけど、分かり易く言うと、入れ替わったと言う方が適切かも知れない。

私が大人になって、つまらなくなった人もいるのではないだろうか。

 

何が言いたいかと云うと、読んでくれている全ての人の願いを叶えることができたら最高なのだが、それは不可能である。

何故なら、全員一致していないからだ。

つまり、この人の願いを叶えたら、あの人は悲しむ。

その覚悟はとっくにできている。

と云うか、経験済みだからだ。

何でも許してくれるわけではないということ。

時には私の言動に対して傷付く人もいれば悲しむ人もいるということ。

例えば、私が早死にしたいなどと言ったら悲しむ人もいる。

しかし、私みたいな人間は簡単に死なないから大丈夫だ。

 

ちょいと昔は『橋岡蓮』っていう名前に誇りを持っていた。

勿論今でも持っているけれども、汚されたくないとムキになることはない。

汚されて屈辱を受けて恥を掻いても、それはそれで受け入れる。

ここまで来ると、どうせ何者にもなっていないのだから、プライドもクソもないよなと思ってしまう。

そして、たまにこう訊かれる。

 

「蓮さんにはプライドが無いの?悔しくないの?」

 

いやいや、寧ろ愛おしく思ってしまうから怖い。

プライドはないわけではないが、さほど悔しくはない。

誰とも競っていないからだ。

その代わり、私の大事な読者がバカにされたり誤解されたりしていたら本気で怒る。

自慢じゃないが、並々ならぬ正義感を持っている。

たった一言、大事な人が悪く言われただけで激怒する。

私には読んでくれている人を守る義務があると思うからだ。
何故かって死ぬ気で書いているからだ。

早い話、それ以外に熱狂的になれるものが無いのだ。

四十代に入って、角が取れて丸くなってきて、いい塩梅になってきたからこそいい出汁が出ているのかも知れない。

だから年上の友達と話ができるのかも知れない。

年下の友達とも、フィフティフィフティな関係を築けるようになったのかも知れない。

私は家族よりも私の文章を好んで読んでくれる人を取るタイプ。

家族は大事だけれど、私の邪魔をするようならぶった斬ってしまう。

しかし、ぶった斬るエネルギーもなくなってきて、温和になった。

この温和さが、目に見えぬ読者と云うものを信じている私には丁度良いのかも知れない。

目に見えぬ者とのコミュニケーションは信頼に他ならない。

ありきたりだが、信ずる者は他者から信じてもらえる。

それが私のモットーかも知れない。

ちょっと抽象的に書き過ぎたかな?

伝わったかどうかが心配だな。