新宿まで行って、『ロックンローラー』の打ち合わせをしてきた。
編集の話だ。
恐らく六時間くらいぶっ続けで話し合いをした。
安堵したことと云えば、取り敢えず「面白い」と言ってもらえたことだ。
後は、技術的な問題や、文体を変えようという話だ。
『ロックンローラー』は、哲学的小説にしたいので、話は尽きなかった。
私としては今月はガチで『ロックンローラー』の編集に取り組み、月末までには形にしたいと思っている。
バイトは四連勤。
それを言い訳にすることなく、全力で体当たりしたいと思っている。
浮かんでくる言葉も出てくるだろう。
先ずは自分が持ち合せている才能を信じることだ。
こう言われたからこうする、ではなく、自分がこうしたいからこうするというようにして行きたい。
そのための話合いをガッツリしてきた。
これからいよいよ面白い作業が待っている。
これこそが編集の醍醐味だ。
校正もしなければならないが、価値ある著書にするために先ずは編集だ。
土台はもう作ってある。
ストーリーはでき上がっている。
あとはどう見せるかだ。
私ならできると何十回と言い聞かせた。
自分を信じることが本当に必要なんだと、本には書いてあるが、それを実践する時が来ている。
ところで、私は自分の中に一つ信じて愛する運命たるものが無いことについて長い間悩んでいた。
それが伝わっただろうか?
どういうことかと云うと、運命の元で結ばれたはずのパートナーを愛しきれていないと思ったからだ。
打ち合わせがてら、私は余計なことと思いながらも相談してみた。
「蓮さんが折れるしかないんじゃないですか?」
確かにそうかも知れない。
私の方が圧倒的に年下なのだが、こちらが大人になるしかない。
「そうか、私がやっぱり許して折れて、歩み寄るしかないんですね」
「もう一つは、蓮さんがとにかく稼ぐことでしょうね」
仰る通りだと思った。
私の自信の無さは、パートナーより収入が少ないことにあるのだから。
わかりました、そう答えた。
先ずは目の前のこと、頭に浮かんだのはパン屋さんだ。
自分の時間は減るが、長い時間働いて、一人前として扱って貰えるようになることだ。
そして、『ロックンローラー』発売後もコンスタントに本が書けるように勉強しなければならない。
私が思い付いたのはそういうことだ。
それともう一点、今までの経験を活かし、編集や校正の仕事のスキルアップを狙うこと。
そんなところかな~。
私が愛する者の不在について悩んでいることは、健全な悩みであると言って頂いた。
何故なら武士道精神で生きようとしている者にとって、パートナーを愛せないことは弱点だからだ。
じゃあ恋でもしてればいいのか?
しかし、倫理観と云うものが邪魔をするのではないだろうか。
要は、パートナーに対する罪悪感だ。
ではどうしてパートナーを愛せないのか?
簡単な話、私にとっての理解者ではないからだ。
私は私の話を真剣に聴いてくれ、真剣に文章を読んでくれる人を求めている。
味方になってくれる人のことを好きになるタイプだ。
物を書く人って云うのは、大概自分を理解して欲しいという気持ちを強く持っていると思う。(私だけかも知れないが)
私の場合は、この世でたった一パーセントの確立である自分を理解してくれる人を極めて大事にする。
そんな人は一パーセントしかいない貴重な人物だと思うからだ。
しかし、私のことを理解できない人と一緒になってしまった。
その苦悩こそが、私に与えられた運命なのではないだろうか。
苦悩して、苦悩することこそ、蓮の花に与えられた泥水なのではないかということだ。
本当は私を高みに連れて行ってくれる人と一緒になった方がいいのではないかと思うのだが、先ずは苦悩を受け入れるということ。
そして、パートナーより稼いで自信を付けるということが、私を苦悩から救ってくれるのではないか。
全ては、一度くらい花咲かせるため。
それじゃないと、死ぬに死ねないじゃないか。
蓮の花なんだから。