頭痛と共に目覚めて、これを書いている。
普段なら寝る前に書くのだが、昨夜は焼酎一杯で潰れてしまった。
なんで?
かつては横綱と呼ばれた私。
すっかり酒を受け付けない身体になってしまった。
ビールは美味しいけどね。
てなわけで、昨夜は七時半頃には激しい睡魔に襲われ、メールの返信などもできなかった。
少々の自己嫌悪と共に、朝を迎えた。
バイトはシフト変更のため、今日は休みになった。
バイトだったら、文章を書いている時間は無い。
皮膚科へ行かなければならないのだが、もし、自覚している以上に疲れているならば、皮膚科は来週に回して自宅で『ロックンローラー』の編集作業に充ててもいいよなと思っている。
雨だしねぇ~。
来週も雨には変わりないだろうけどね~。
頭痛は、珈琲をがぶ飲みしたら消えた。
やはり眠たいだけだったのかも知れない。
さて、今日は何を書こうか。
先日とある先生と電話で話をした。
とても有意義な話ができて、心から感謝している。
私って自己肯定感がめちゃくちゃ低いと思っていた。
しかし、そうでもないかもと思えることがあった。
とある先生曰く、私は問題解決能力がずば抜けて高いそうだ。
自分が思っている以上にそういう力を持っているからこそ、あらゆる苦難を乗り越えてこられたと云うことである。
「そうか、自己肯定感をちゃんと持っているのか。。。」
私はそう思った。
幼い頃から褒められることがなかったので、褒めてくれる人のことを好きになっていた気がする。
自分をわかって欲しいという気持ちも人一倍強く持っていた。
だからこそ文章を書いたりするのだ。
承認欲求などと云う浅いものではない。
かといって私は自分のためだけに書いているのではないと気付いた。
楽しみにしてくれている人のため、真剣に私のことを理解したいと思ってくれている人のため。。。
回りまわって自分のためなのだが、私のことを求めている人のために書いているとも言える。
だからコテンパンに疲れていてもタイピングするのだろう。
『破壊から再生へ』は友達が欲しくて書いたようなものだ。
実際に、この本をきっかけに友達になれた方は多い。
きっと理解してくれる人がいるはずだ。
そんな想いを強く持っていた。
人間は他人のことを全て理解するのは不可能だが、少なからず歩み寄ってくれる人は増えた。
もっと分かり易く言うならば、共感を持ってくれる人だ。
お話させて頂いた先生は、自分のために文章を書いていると仰っていた。
はて、私はちょっと違うなと感じた。
私の元にはたまに悩み相談をしてくれる人が来る。
蓮さんに話を聞いて欲しいと云うのだ。
そういう人の心が少しでも楽になるように書いている節もある。
だから自分のためだけに書いているとも言えない。
かといって、何度も言っているが読者がいなくなっても私は書き続けるだろう。
ただ、こうして何らかの形で発信している間は誰かしらに読んでもらえるのではないかと云う根拠のない自信がある。
先生は仰っていた。
『ロックンローラー』の先の物語に大変興味があると。
どんな日常なのか、どんな人生なのか、そういう部分が楽しみであると。
誰かからそれを言われたのは初めてだったが、単刀直入に嬉しくなった。
私にはまだまだ本を書き続ける価値があるような気がした。
人から期待されるということは、自己肯定感に大きく結びつく。
可能性を信じてもらっている証拠だからだ。
蓮さんが裏方に回ってしまうのは寂しいと、友人が言っていたように。
『破壊から再生へ』は序章に過ぎず、これから私が紡ぎ出す物語を待っている人が一人でもいるならば、私は書く。
それはどういうことかと云うと、いつ死んでも悔いはないという覚悟はあるにせよ、人生まだまだこれからと思うことができたということだ。
因みに、私は経験値が圧倒的に高いので、魂の成熟度がダントツに高いということだ。
何かの形でそれを活かすことはできないものだろうか。
私は他者とのコミュニケーションを求めているのかも知れない。
つまり、自己肯定感をちゃんと持っているということではないだろうか。