nakanakadekinai's diary

単なる日記でもなければ、単なるエッセイでもない

両親の幸せを願う

両親には幸せになってもらいたい。

親の老後について悩むのは私だけではないだろう。

 

「アンタ、疎遠のまま死んでたらどうしてたのよ」

 

母さんは涙ながらに衝撃を隠せない様子だった。

何故なら、電話で三十二歳の時に子宮頸がんを経験したことを母さんに告げたからだ。

頼る人がいなくて、保証人や立会人がいなくて、とても苦労して手術したんだと伝えた。

その話は、父さんには伝えてあった。

今の今まで母さんは父さんから聞いていなかったとのこと。

どうしてそんな大事な話を母さんに隠していたのだろうか。

父さんに対して憤りを覚えてしまった。

また、私が新婚旅行で沖縄へ行って、今は亡き祖父母の家を訪れた話も母さんは知らなかった。

本当に会話の無い夫婦って、こういうことなんだなと思った。

ウザがられようが、旦那には話しかけるべきなのか。

それとも余計なことは喋らない方がいいのか。

私にはわからないが、会話が無いということは信頼が無いということ。

寂しいし、哀しいよなと思った。

何だかとても切ない気持ちになって、話はどんどんヒートアップして行った。

 

旦那を父さんに会わせた時、旦那はこう言ったんだと母さんに告げた。

 

「黙って戴いちゃってすみません!」

 

はぁ?ウチの娘は「物」か?

母さんはめちゃくちゃムカつく!!!と言って怒っていた。

 

「ウチの旦那はチャラい人だから…」

「それでもアンタは『カステラ』じゃないんだから、戴いちゃってすみません、ってあんまりでしょう。じゃあ、突然来ちゃってすみませんが、娘を返してもらいますって言ってもいいでしょう?」

 

母さんは怒り心頭。

 

「まぁね、それを言われてもウチの旦那は何も言えないよね」

「五十七歳にもなって、常識がなさ過ぎるわ。まるでどっかから拾ってきたみたいに。本当にムカつく野郎だわ」

 

母さんは父さんの愚痴を、私は旦那の愚痴を。

話せば話すほど、やたら盛り上がった。

私はこんな旦那のことを諦めてしまっている。

しかし、母親の立場として怒ってくれてとても嬉しかった。

 

九月の二週目に東京の北千住まで会いに来てくれるとのこと。

そこで、旦那にも会わせる予定。

どんな挨拶をするのか、見物である。

 

夫婦って本当に難しいよね、という話になった。

私は母さんよりは器用に、義母とも上手くやっているつもりだ。

義母からは可愛がってもらっている。

私も義母を大事にしている。

それでも旦那が私の両親を大事に想うかどうかは話が別なのだ。

母さんは、男ってそんなものだと言っていた。

奥さんの両親を大事にできる人は数少ないと。

母さんの話を聴いていると、いずれ北海道に来て欲しいようだった。

私としては、いずれは埼玉県に呼ぶか、こちらから北海道へ行くかのどちらかだと思っていた。

私の仕事の関係上、埼玉県にいた方が好都合ではあるが。

ただ、ネックなのは旦那である。

私の両親の面倒など、見る気は更々ないだろう。

しかし、私としてはそういうわけにはいかない。

将来どうするのか、色々と悩むところである。

「将来」と言っても、十年後の話になるかも知れないが。

これからの将来、両親はどう考えているのか真剣に話し合わなければならないなと思っている。

私の部屋を譲ってもいいが、夏は死ぬほど暑い。

いっそのことこの家を売って、もう少しマシな家が買えたらいいのだが。

果たして私の両親のために、旦那はそこまでしてくれるだろうか。

 

本来ならば一家を纏めるのは父さんの仕事。

でも父さんは秘密主義なのか事なかれ主義なのか、頼りにならない。

結局、長女である私が仕切るしかない。

そして、婿に行ってしまった弟のことは頼れない。

何とか、ウチの夫婦仲を良くしないといけないのかなとも思う。

両親と十年以上疎遠だった私だが、やはり最後は幸せにしてあげたい。

孤独や苦悩を抱えて生きるのではなく、幸福を感じて最期まで生き抜いて欲しい。
私は子供がいないから、親の面倒くらい看ないとなと思っている。

問題は旦那をどう説得するかだ。