nakanakadekinai's diary

単なる日記でもなければ、単なるエッセイでもない

愛し方を知らない男

ヤバい、時間が無い。

バイトの後打ち合わせで、夕飯を済ませたらあと一時間しか残っていない。

なるべく手を抜きたくないのだが、早巻きで書いてしまうことにする。

話が取っ散らからないように気を付けようと思うが。

 

台風も逸れて、穏やかだった埼玉県。

短時間だったがいい打ち合わせができて本当に良かった。

草加駅の居酒屋へ行った。

来月に発売が迫っているので、慌ててお会いした。

先ずは生ビールで乾杯し、近況報告を済ませた。

九十分制と言われたが、延長して十七時まで居座った。

全然話足りなかったが、旦那が休みだったので早めに解散した。

何故なら、旦那は私が視界に入っていないとダメな人だからだ。

しかし、私の旦那は愛し方を知らない男だ。

 

打ち合わせでは、重にお互いの仕事のことを話し合った。

そして、お互いの家族の話になった。

私の両親や旦那のこと、彼女は子供のことなどだ。

そこで私は感じたことがある。

人間関係に於いて、職場よりも家族の方が難しいのではないかと云うことだ。

しかし、母親と和解できたように旦那とも和解できるかも知れない。

昨日も書いたが、両親の老後のことを考えている。

何気なく旦那に訊いてみたが、話をはぐらかされてしまった。

オリンピックを観るので忙しいらしい。

私の話どころじゃないらしい。

だったら私はもっと打ち合わせでゆっくりしてくれば良かったじゃないか。

まぁ、いいんだけどね。

 

そもそも、家族って何だろう?と思った。

戸籍で繋がっている結束集団。

血のつながりで言えば、旦那は他人だ。

そうそう、旦那は他人なのである。

戸籍上では家族になっている。

しかし、前々から書いているが、家族に対する温度差がある。

旦那にとって私の家族など、他人中の他人なのだ。

九月に母親が会いに来ると言っても、「へぇ~」って感じ。

「良かったね!」とも、「ありがたいね!」とも、「嬉しいね!」とも言わない。

そんなものなんだろう。

世の中の夫婦は大体そんな感じなのだろうか。

旦那との結婚記念日を私のように忘れるくらい、忍耐なんだろう。

でも、どこの旦那様にも一つくらい良いところがあって、耐えられているのだろうな。

ウチの旦那は私が視界に入っていれば、それで満足という人。

出掛けてもダメ、二階に籠っていてもダメ。

かといって、同じリビングにいても会話があるわけではない。

視界に入っていればいいのだ。

だから、私が仕事から帰ってきたとて、ベタベタするわけでもない。

寂しかったと謂うわけでもない。

退屈だったと謂うわけでもない。

それでも自分が休みの日は一緒にいたいし、できればどこかへ出掛けたいと云う人。

まぁ、それで微かに愛されていることを実感して、今に至るのだが。

 

確かに気持ちはわかる。

私だって、視界に旦那がいるといないでは違うかも知れない。

大人しくヘッドフォンで映画を観てくれている二時間が一番落ち着くかも知れない。

どれだけ二階に籠っていても、下に旦那がいると思うと落ち着かなかったりする。

世の中の夫婦って不思議だ。

私が想うのは、同じ別れるでも離婚と死別ではエライ違いだ。

キッパリ離婚して生き生きとしている人に対して憧れもある。

私にもそれは可能かも知れない。

しかし、自分に愛情を注いでくれる人がいるといないでは違う。

ないない尽くしの旦那なのだが、いないよりマシなのかなとも思う。

それとも、子供がいないのだから私は自立するべきかも。

そんなことがグルグル頭の中を駆け巡っている。

女四十代、これからどう生きるのか悩む。

私が成長すればするほど強気になる。

しかし、旦那にとっては私はかけがえのない人なのかも知れない。

愛し方を知らないだけで。