nakanakadekinai's diary

単なる日記でもなければ、単なるエッセイでもない

奉仕という修行

時間があまりないのだが、書いてみよう。

上手く書けるかなぁ。

言いたいことは、「奉仕」の精神は大事だということだ。

私などは、文章を書くということは実に奉仕だと思っている。

サービス精神も必要だ。

いつも私の文章は楽しく読んでもらいたい。

時には一緒になって考えて欲しい。

若しくは、私の代わりになって答えを導き出して欲しい。

それだけではなく、ためになるような文章を書きたい。

話が取っ散らかっていることもあるのだが。

そういう時は、蓮さんはすこぶる眠たくて、やっつけ仕事をしていると思ってくれ。

焼酎をロックで一杯飲み干せずに寝てしまうこともあるくらい。

それでも何とか書き終えてから寝る。

それは、朝書く時間が無いからだ。

朝はバタバタで、アップするのに精一杯だからだ。

 

「奉仕」とは、私の解釈では「修行」でもあると思う。

毎日文章を書いていることは修行に他ならない。

五年前、三年前と比べて、確実に書く内容や文章力は上がったと思っている。

勿論、未だ修行の身なので、これからもっと良くなるだろう。

現在進行形の仕事の編集作業をしていて、とあることに気を付けている。

難しい漢字を避け、一行をなるべく短くすることだ。

これを徹底するだけで、随分と読み易くなる。

不思議なくらいだ。

そもそも、「奉仕」とはサービス精神と修行だけでも十分なように思う。

しかし、プラスされる要素は多々ある。

 

例を挙げるならば、「つぐない」「反省」「謝罪」だ。

あれ?これって母さんに対して私が想っていることじゃないの?

そうだ。

私の口から謝罪の言葉が出てくるかはわからない。

それでも謝罪の心は持っている。

今まで大人になり切れなくてごめんなさいと。

そして何より、母さんを誤解していてごめんなさいと。

心配かけてごめんなさい。

寂しい想いをさせてごめんなさい。

本当だったら、私の文章を母さんにも読んでもらえれば一番いいのかも知れない。

ただ、敢えてそれはしない。

『破壊から再生へ』も『ロックンローラー』も、それ以前の過去作品も母さんには読ませないつもりでいる。

その方が、円満でいられると思うからだ。

私は謝罪と反省の心を持っているからこそ、母さんを一瞬で許すことができた。

つまり、自分に正直になっただけの話。

自分の胸に手を当てた時、私は間違っていたと気付いた。

そして、母さんに手紙を書いて、携帯電話の番号を記した。

私が一番嬉しかったのは、電話を掛けてくれた母さんの勇気だ。

私を信頼していなければ、その勇気は出てこなかっただろうと思った。

その気持ちが最高に嬉しかったので、一瞬で全てを許すことに繋がった。

そして、あと余命何年かわからない母さんを大事にしようと誓った。

これはまさしく「奉仕」だと思った。

生涯身を削って、母さんに尽くすこと。

たぶん、母さんも同じように思っているのかも知れないが。

ざっくりと言ってしまえば、無償の愛なのだと思う。

見返りを求めない愛こそが、私を一回りも二回りも成長させてくれる。

それは文章を書くことに繋がると思っている。

文章を書くことで修行し、サービス精神を養い、愛する人を愛し抜く。

そんな単純なことしか私にはできないもんなぁ。

他にできることもなければ、やることもない。

書かなくなったら、私は心に穴が開くのだろうな。

自分を支えているものがなくなるからだ。

幼少時代はそれがピアノだったように。

ピアノを捨てた私は目も当てられなかったからなぁ。

私はこう見えてストイック。

これだ!と思うものがあればとことんやる。

かといって、それは自信とは別のところにある。

「奉仕」って云うのが一番しっくりくるのだが、伝わるだろうか?

仕事人は誰もが持っている心のように思う。

中には金のことしか考えていない人もいる。

それでも、働くことで自分を保っているような気がしてならない。

 

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