色々と悩んでいる。
何故なら私は今まで通り自分に正直に書くべきなのか、読者のために書くべきなのかわからないからだ。
自分に正直になることとは、簡単なようで難しい。
自分を信頼していないと、正直に書くのは怖い。
しかし、私は自分に正直に書いている。
勿論、毎日冷や冷やしている。
だからこそ、共感のコメントなどを戴けたりすると嬉しいのだ。
かといって、コメントが欲しくて書いているわけではない。
これもまた、正直な気持ちだ。
最近、多くの方から様々なご意見を戴く。
本当に様々だ。
私のことを傷付けようと云うものは一つもない。
だけど、これからどうすればいいのか考えてしまうのだ。
今まで通り正直に書くのか、読者のために書くのか。
そもそも、読者のために書くということはどういうことなのかわからない。
多くの共感を戴ける文章か?
でもそれって、今までの私の生き方に反していないだろうか?
私のことが好きな人は私のことが好きなわけで、たまにやらかすことに悪意はないとわかってくれている。
何度も言うようだが、誰にも悪意はない。
しかし、私には荒波が来ているように感じる。
何を書いても、何を喋っても、逆風になるような感覚。
まぁ、そう長くは続かないし、秋には無事に本が完成するだろう。
とは云うものの、この文章は毎日のこと。
自分に正直になって書けるのが、唯一の取り柄だと思っていた。
例えば自分が得するために、良く思われるために、嘘を並べる人もいるかも知れない。
自分のリアルな気持ちは閉まっておいて、わざと元気に振る舞ったりすることだ。
もしかしたら、それが大人としての配慮なのかも知れない。
仕事のパートナーに相談してみたが、このように言っていた。
「自分や文章を変えるタイミングが来たのかも知れませんね」
じゃあ今までの私は何だったんだ?
パートナーは読者目線で書いた方が良いと思っているのだろうか。
そういうご意見も多々ある。
私はそこを理解できないということは、頭が悪いのかも知れない。
タイミングねぇ…。
そもそも、自分を変える必要はあるのだろうか?
この手の話をしていたら、とあることを想い出した。
私はつまらない大人になどなりたくないと思って生きてきた。
今でも自分のガキ臭い部分は認める。
大人になり切れず、サラッと流せないことが多々ある。
胸につっかえて、いつまでも引きずっていることが山のようにある。
それゆえ、私は凹み、苦悩し、どうすればいいのかを悩む。
ただ一つ救いだったことがある。
「世の中には、正解も不正解もない」
その通りだと思った。
つまり、失敗も成功もないのだと私は思った。
結局、これからも私は自分に正直になって書いて行くだろう。
それゆえ、人を傷付けたら謝ることしかできないのだが、嫌われることは恐れないようにしようと思う。
パートナーが言うように、成長するタイミング、ターニングポイントなのかも知れない。
しかし、私は黙っていても成長していくタイプのように思えてならない。
成長するぞ!と思って自分を変えたら、自分じゃなくなる。
結局、私って女はこういう内容をこうして書いてしまうんだよな。
その日その時、脳内部分の大部分を占めていることを吐き出すように書くタイプ。
それは小説を書くタイプではないのかも知れない。
でもそれを言ってしまえば、元も子もないと思うのは私だけだろうか?
読者を信じるがゆえ、自分に正直になれる。
勇気が持てるからだ。
それと読者に喜んでもらえることを書くのとでは、また別問題のような気がしてならない。