nakanakadekinai's diary

単なる日記でもなければ、単なるエッセイでもない

友情とは与えて忘れるもの

プレゼントって難しい。

昔、友達にスカーフをプレゼントしたことがある。

しかし、気に入ってもらえなかった。

 

「こんな派手なスカーフ、使えないわよ」

 

私はなんて無神経な人なんだと思った。

彼女は日焼けをやたら気にする女性だった。

お出掛けする時に、首に巻くのに丁度いいかと思ったのだ。

もし気に入らなければ、友達や家族にあげてもらって全く構わないと思っていた。

寧ろ、ヤフオクで売ろうが、古着屋に持って行こうが、捨てようが彼女の自由だ。

それなのに、使えないわよ!と言われた。

いやいや、私だったら黙ってありがたく頂戴してこう言うはずだ。

 

「ありがとう!」

 

それ以来、人にプレゼントをすることが怖くなった。

その人を観察し、その人の好みに合わせて、念入りに選んでもこの結果だ。

さもないと、プレゼント一つで離別し兼ねない。

 

私にも毎月使えるお金には限度があって、貯蓄に回す分もある。

決して余裕があるわけではない。

そんな中、プレゼントとなると奮発するわけだ。

特に女同士は難しいのかも知れない。

それにしても、やはり先ずは「ありがとう」だと思うのは私だけだろうか?

 

こちらが好意でやったことが、相手にとっては気に入らないということが多々ある。

その場合、皆、どのように自己処理しているのだろうか。

私は、悲しい気持ちを堪えてしまう。

 

「失礼ね!」

 

とは言わない。

私は相手に合わせたものを選ぶセンスが欠けているのかも知れない。

確かに私だって頂いたけれど、使い道がなかったものもある。

そういうものは、お守りとして、タンスに閉まっておくけどな。

いちいち相手に文句など言わない。

軽々しく人からもらったものを貶す人は、「もらい物」という概念を飛び越えてしまっているのではないだろうか。

自分のことを理解してもらえなかった怒りをぶつけているのかも知れない。

怒る人の気持ちはわからなくもない。

もっともっと自分を見て欲しかったのだろう。

言わなくてもわかって欲しい、みたいなこと?

勘弁してよ。

私だって、自分の好みを押し付けたわけではない。

似合うだろうなぁと思って買ったが、結果的にお気に召さなかっただけに過ぎない。

ありがとう!が言えない人は、一人や二人じゃないんだな。

私からすれば、金の問題だけでもない。

一番大きいのは、プレゼントしたいと云う想いを踏みにじられたような気分になること。

好意を好意と受け取らず、当たり前と思っていやしないか?

一度や二度、こういうことがあると、何となく距離ができてしまう。

気持ちが疲れてしまうのだ。

こちらとしては、仲良くしてくれているお礼を込めて贈ったプレゼント。

それを巡って、関係が悪化するなんて情けなくなる。

ただ、反省はする。

あの時、地味なスカーフを贈っていれば、今頃まだ友達でいられたのかな?と。

 

「こんな地味なスカーフ、使えないわよ!」

 

そう言われたかも知れないしなぁ。

やはりいずれにしても結果は同じだっただろう。

 

友情とは本来無償の愛で成立するもののはずだ。

互いにその気持ちがないと、成り立たないと思っている。

相手に過度な期待をしてはならない。

友情とは、与えて忘れるもの。

目に見えないものだからこそ、大事にしたいものだ。

私の場合は一方通行でも構わない。

しかし、それはよほど相手に魅力があってのこと。

例えば、崇高さや寛大さを持っているとか、情に厚い人だとか。

かといって、男と女の友情も難しいんだよね。

成立すると、私は信じているけれども。