nakanakadekinai's diary

単なる日記でもなければ、単なるエッセイでもない

友情とは信じて待つ

時間が経つのは早い。

バイトから帰って来て、三時間が経過した。

ぼちぼち、書くか~!

最近、蓮さんの文章はつまらないと言われることがある。

私の心の声としては、「わかってるよ、仕方ないじゃん」というものだ。

反応が無かろうと、書くことに変わりはない。

毎日修行だと思って白紙に向かっている。

私から言わせれば、毎日面白いなんてことはあり得ない。

何故なら、私はスーパーのパン屋さんと自宅の往復のみの、平凡な主婦だからだ。

だからと云って、書かないという選択肢を持ってはならないと言い聞かせている。

駄文だろうが、何だろうが、毎日書いて人様に見てもらうことが私にとっては大切。

 

新作のタイトルについては、あまりにも不評なので再考することにした。

決まり次第また報告する。

土曜日は午前中バイトで、旦那は健康診断なのだが、北海道の両親からホタテが届くとのこと。

めっちゃ嬉しいんですけど!!

今週末は、ホタテをつまみに酒が飲める。

その分、日中頑張らなければならない。

 

さてさて。

実は、旦那のことでゴタゴタしていて、周りを振り回してしまった気がして深く反省している。

しかし、私は良くも悪くも自分に嘘が付けないタイプだ。

その日、その時頭の中にあるものを吐き出すように文章を書いている。

それと並行して、今、小説を書いているので、この場でオリジナリティを出すことが極めて難しい。

昔はブログ等で、ショートストーリーやポエムを書いていたこともあった。

とても稚拙なものなのだが、それでも一度スイッチが入ると創作モードになっていた。

最近はてんでダメだ。

とにかく閃いたことをつらつらと並べることしかできない。

それもまた私の中では苦しみの一つなのだが、開き直るしかない。

どうやったら、面白い文章が書けるのかと考える余裕がないのかも知れない。

かといって、まだゴチャゴチャ引き摺っているわけではない。

私は一人ぼっちになることを極めて恐れているから、別れない方がいいだろうという選択をした。

それしかない。

 

最近のゴタゴタで、何となく周りが離れて行ったような気がするのは私だけだろうか?

私のスタンスとしては、去る者は追わないが、信じて待つ。

それしかできない。

母親という最強の友達ができた私は、失うものがあって当然だとも思う。

やはり大きなものを得た代償って云うのは大きいはずだ。

気のせいかも知れないが、今まで優しかった人が冷たく感じたり、何となく寂しさを感じたりしている。

 

「蓮さんには、振り回されっ放しでついて行けないわ!」

 

そう思っている人もいるのかも知れないし、私が落ち着くのを待っているのかも知れない。

私としては、皆が後者であることを祈り、信じて待つのみだ。

そもそも、本当に自分を理解してくれる人などこの世にはいない。

そう考えると、刹那的に陥り易いのだが、それじゃダメだ。

理解者は自分のみと割り切った中で交友関係を保つことが重要だ。

決して人に失望してはならないと思う。

だが、失望してしまうことって往々にしてあるものだ。

きっと信じていた気持ちが失望に変わるのだと思う。

私は誰かを失望させたりしたくないと願っているが、疲れちゃう時が度々ある。

過度な期待を感じると、「敢えて」反することをしてみたりする。

でも、そう云う時は、蓮さんの不良性が顔を出しているだけなんだ!と暖かい目で見守って欲しい。

それこそ、信じて待つということができたら絆は深まって行くだろう。

信じて待つのは、時に辛いことかも知れない。

そもそも、信じるって何?

期待してはならない、とにかく信じて待つことが大切。

その、信じるって何?

たぶん、そこが重要な鍵なんだよな。