nakanakadekinai's diary

単なる日記でもなければ、単なるエッセイでもない

生き方を見せる!!

人間と人間は近すぎてもいけないが、距離がありすぎてもいけない。

私には大切すぎて一歩も近寄れない人もいるのだが、普段連絡を取り合っている人のことが大事じゃないという意味ではないので誤解しないようにして欲しい。

現実問題、友達に会える機会って云うのは極めて稀である。

どんなに仲が良くても、お互い忙しくてスケジュールが合わない。

LINEやメッセージの遣り取りすら時間がなくてできないことも多々ある。

普段電話で話をするのは、ごく一部の人。

女友達でもある母さんか、遠く離れた友人くらいだ。

だが、ふと思うことがある。

母さんも友人も、離れているから友情が成り立っているのではないかと。

これがちょっと足を延ばせば会える距離にいたら、それ程長電話したりしていないかも知れない。

どうあがいても、滅多に会えない距離があるからこそお互いを心配し合う気持ちが生まれるのだろう。

母さんと一緒に暮らしたら、ここまで長々と喋るだろうか?

やはり、会いたい気持ちの裏返しが、長電話に繋がるような気がしてならない。

お喋り好きな私や母さんにとって、どちらが良いのだろうとたまに想う。

 

 

友人ともそうだ。

例えば埼玉県と東京都くらい距離が近かったら、頻繁に会うかも知れないが、お互いを気遣うことが減っていたように思う。

だから冒頭に言ったように、人間同士には距離が必要なのかなって。

 

 

とはいえ、距離が近い人とはどんどん友達になりたい。

そう言いながら、千葉や神奈川や東京にいながら距離が縮まらない人もいる。

ネット上の付き合いでお互いに満足している場合もあるし、本当はお近付きになりたいのに、お互いに遠慮している場合もある。

 

 

まぁ、私はお茶飲み友達が欲しいわけではない。

わかり易く言うと、お互いに安否確認がしたいのだと思う。

例えば、ネット上だけで繋がっている間柄だと、コメントなどが無かったら、音沙汰なしになってしまうわけだ。

私としてはコメントが欲しいわけではない。

元気かな~、などと思っているだけだ。

元気で忙しいならそれでいいのである。

かといって、連絡先を交換して、彼氏彼女みたいに頻繁に遣り取りすることを求めているわけでもない。

いざと云う時、連絡を取れる手段があると精神的に安心する。

 

 

まぁ、酔っ払いの戯言なのだ。

私ごとき、ワインで飲み足らず、芋焼酎をストレートで飲んでいる阿呆である。

仲間である若者がいるのだが、私の好みである音楽はどう映るかと思ってLINEにYOUTUBEを送ってみたりした。

私が高校生の頃に流行ったHIPHOPだ。

フージーズや、ザ・ルーツなどだ。

 

「貴方が生まれた頃に流行ったのよ!」

 

などと言って満足気である。

こういうことを、ネット上でしか繋がっていない友達ともしたいよなぁ~と思ってしまう。

しかし、こんな遣り取りが無くったってお互いを想い合っているという信頼がある。

むしろ、二ヶ月間コメントが来なくても、信頼が揺らぐことはない。

そう云うものだ。

だけどちょっぴり寂しいのは言うまでもないのだが。

 

何が言いたいかって云うと、ネット上でしか繋がっていない間柄でも心配しているのだから、ネット上にたまに姿を見せようよ!

って、とある人を励ましたいがために、ズラズラと回りくどく書いた。

やはり私もそうだけど、細々とでも公に出て活動している人は消えてはならないと思う。

私は一度、アメブロの世界から消えてみたけど何の伝説にもならなかった。

だから消えるには百年早いんだと痛感した。

ファンと云うか、読者が一人でもいる間は「隠居」なんてしてはならない。

見せるのは文章じゃない。

生きている姿を見せることが仕事なのだ!!!

私はそのように思っている。

文章で飯が食える食えないの問題ではない。

大抵の人はその道で飯が食えないんだと思う。

私だって馬鹿にされることが多々あるけどさ。

また、待ってるから、ね!

 

なんか話がまとまっていないと思うのは、私だけだろうか?