nakanakadekinai's diary

単なる日記でもなければ、単なるエッセイでもない

臆病者の背中

いよいよこの日がやってきた。

日曜日、月曜日と北海道の札幌に住む母さんが、私が住む街に会いに来る。

先週、カウントダウンが始まってからこの日が来るまであっという間だった。

忙しかったのもある。

祝日が多かったのもある。

あれよあれよと云う間に、この日を迎えた。

母さんとは約十年振りの再会だ。

何故、十年間も会わなかったかと云うと、いわゆる親子喧嘩が原因だ。

それも、弟が生まれてから約二十五年間喧嘩しっ放しだった。

私は母さんに認められたいという承認欲求を持っていたのに対し、母さんはこの子はもっともっとできるはずという過度な期待を持っていた。

だから私にとって母さんと一緒にいることは決して楽ではなかった。

若かりし頃の母さんは、旦那である父さんと折が合わず寂しかったのだろう。

たった一人沖縄から出てきたのに頼る人がいなくて心細かったのだろう。

長女である私に八つ当たりしていた。

 

 

しかし、私は心から母さんの愛情を求めていた。

母さんに愛されるためには、もっと頑張らなければならないと思っていた。

ピアノの上達、成績の向上、そして容姿端麗でなければならなかった。

ところが、どれもこれも上手く行かなかった。

手が小さいという理由で、ピアノも中途半端。

進学校に入学したため、勉強も挫折。

ましてや、顔中にニキビができ始めた。

そんな私は母さんに愛されるはずもないと判断し、家出をしてしまった。

待っていたのは、孤立という恐ろしい世界。

居場所と呼べるものを探したが、いつまで経っても見つからなかった。

 

 

家出をしてから、何度も母さんには会ったが、その度に衝突。

からしたら、父さんを頼って生きているのに父さんを悪く言う母さんに腹が立って仕方がなかったのだ。

だけど、当時の母さんの心境は、私自身結婚してみてよく理解できるようになった。

結婚当初の私は、気が狂いそうなほどもがき苦しんでいた。

こんなはずじゃなかったと。

言っていることとやっていることが、まるで違う旦那を許すことができなかった。

しかし、三年経ってみて、何となく落ち着いた。

三年経つか経たないかって云う時に、一人の男性に出会った。

今、大変お世話になっている人だ。

その男性と話をしていて、こう言われたのだ。

 

「家族問題を解決できるのは、長女である蓮さんしかいないと思う」

 

要は、私が先頭切って、家族が再会して仲直りするようにしなければならないということだ。

私は最初は上手く行くはずが無いと思っていた。

 

「また衝突を繰り返すならば、いっそのことこのままお互いに穏やかでいた方がいいのではないだろうか」

 

しかし、彼と相談の上、ダメ元で母さんに手紙を書いた。

そこに私の携帯電話の番号を添えて「電話ください」と書いてみたのである。

 

 

約、一週間後だろうか。

バイトを終え、原稿に向かっていたら知らない番号から着信があった。

母さんだった。

娘でありながら、疎遠になってしまった私に自分から電話するのは勇気の要ることだったであろう。

私と母さんは、お互いの勇気を尊重し合うかのように、昔のことは全て水に流した。

そして、水と油だった親子なのに、ものの見事に意気投合した。

私の旦那と父さんの話で散々盛り上がり、慰め合うまでに至った。

こうして長電話を繰り返すうちに、会おうということになったのだ。

 

 

母さんはまだ六十七歳なのだが、もう既に「終活」のことを考えているとのこと。

死ぬ前に一度は私に会わないと、死ぬに死にきれないと思っていたそうだ。

こんなご時世だから、いつどうなってもおかしくないと思ったのだろう。

私としては、この十年間勝負だと思っている。

いかに親子関係を修復し、空白の時間を埋められるかだ。

手紙に電話番号を載せただけで、こんなに事態があっけらかんと前進するとは思ってもみなかった。

臆病だった私の背中を押してくれた彼に心から感謝している。

では、行ってきます!!