駅の改札口で母さんを待っていたら、向こうから母さんが歩いてくるのがわかった。
母さんは自分で言っていたように確かに少々太ったかも知れないが、私はさほど気にならなかった。
ショートヘアーを赤く染めて、ジャンパースカートにスニーカーを履いていた。
眼鏡をかけていたせいか、目力が強く見えた。
その眼差しの強さになかなか慣れず、最初は正面から目を見れなかった。
なんと説明すればいいのだろう。
やはり十年の空白は大きいと思った。
実の母親が怖かったのである。
お互いに目が笑っていなかった。
旦那はいい具合に母さんと喋ってくれたので、緩和剤になってくれたような気がする。
母さんと二人きりだったら気まずかっただろう。
獨協大学駅で待ち合わせをし、草加松原の松並木を歩いているうちに少しずつ、本当に少しずつだが緊張がほぐれて行った。
草加駅まではたった三十分で着いてしまった。
予約していた時間より早かったが、私達三人は草加の商店街を抜け、居酒屋へ向かった。
目力が強く見えたのは、やはり眼鏡のせいもあったのかも知れない。
マスクを外し、ビールを飲み始めた辺りから、また更に緊張がほぐれて行った。
それでも十年の空白の大きさへの戸惑いは隠しきれなかった。
早い話が、自分の母親という実感がなかなか持てなかったのだ。
知らない人と酒を飲んでいるような感覚。
私は始終、人見知りをしていた。
食も細く、あまり喋らない私の代わりに、旦那はハイペースで酒を飲み、母さんと仲良くなろうと必死になっているのがわかった。
勿論母さんはセーブしていた。
私も酔わないようにとビールをチビチビ飲んだ。
カキフライを一つとマグロ納豆で腹一杯になった私は、母さんからこう訊かれた。
「アンタ、食が細いのねぇ。昔はビックリするほど食べたのに。食が細くなるにはまだ若すぎるわよ!」
すると旦那が串カツとハイボールを片手にこう言った。
「いやいや、蓮ちゃんは太るのを気にしているんですよ!あえて食べないようにしているんですよ」
確かにそれもある。
旦那は酔いに任せてどんどんボルテージが上がり、母さんと音楽の話を始めた。
母さんは戸惑いながらも段々と沖縄の血が騒いできたようで、随分と楽しそうにしていた。
サザンオールスターズのファンクラブに加入している母さんは、いかに桑田さんがカッコイイかと自慢げに話しをしていた。
私は勿論、ビートルズもニールヤングもサザンも知っているけれども、テンションに着いて行けず、一人取り残されたようになっていた。
すると母さんが、旦那がトイレに行っている間にこう私に話しかけた。
「アンタって聞き上手ね。家でもいつもこうなの?」
「ん~、まぁね!」
「母さん安心したわ。あんなに楽しい人が一緒ならいいじゃないの」
「まぁ、そうだね」
お会計は、一軒目も二軒目も無理矢理旦那に払わせた。
手土産の折り畳み傘も喜んでもらえて何よりなのだが、私の中にあるはてなマークがずっと点滅したままだった。
母さんを母さんと思えない。
何故だろう。
パン屋のおばちゃんの方がよほど身近に感じた。
つまり、懐かしさが無かったのだ。
まるで知らない人と初対面で飲んでいるみたいで。
母さんが老けたとか、太ったとか、そういう問題ではない。
この感覚は一体何なのだろうか。
ただ、母さんはこう言っていた。
「あと十年若かったら、この子を許せなかったかも知れないわ」
「和解のタイミングが『今』っていうことですよね?」
「そうそう、今だから全て吞み込めるようになったのよ。どうしてこういうことするの?とか、理解に苦しんだもの」
旦那と母さんの話を黙って聞いていた。
二人は仲良くなったみたいだが、私は最後の最後まで違和感が消えなかった。
何とも言えない寂しさが私を襲った。
母さんのことは一目でわかったのに、最後まで私の中では知らない人だった。
面影や、懐かしさや、想い出が蘇ることはなかった。
旦那がやらかしたことを一つ挙げるならば、「握手」だ。
母さんは差し出された手を握ることはなく、とても嫌そうにしていた。
旦那本人はスキンシップで仲良くなろうとしたらしいが。
さてさて、二日目は母さんとの距離を縮めることができるだろうか。