nakanakadekinai's diary

単なる日記でもなければ、単なるエッセイでもない

自信持って赤裸々に

肉体的疲労は酒飲んで寝れば治るのだが、精神的疲労は厄介である。

仕事でミスをやらかした私は、徹底的に集中攻撃されてクタクタで帰ってきた。

だけど、木曜日は休みなのだ。

午前中は野暮用があって出掛けるが、午後はとことんゆっくりするつもりだ。

野暮用がてら買い物でもして、ストレス発散して来ようと思っている。

緊急事態宣言も明けるし、また昼酒が飲めるようになる。

それはそれで楽しみだ。

十月、十一月と開放的な気分に浸れることだろう。

 

 

それにしても毎日好き勝手書かせてもらっている。

ただ、私の強みは全て事実に基づいて書いているということだ。

だから単なるエッセイでもない、単なる日記でもない。

生き様のお披露目でもない、かといって記録でもない。

私の人生の共有と云った方が正しいだろうか。

プライベートや心の声を赤裸々に書くと云うのは、できそうでできない。

この部分は見せられても、他の部分は隠すと云うのがザラだと思う。

何故、私には「赤裸々」ができてしまうのだろうか。

恐らく、自分にある程度自信があるのだと思う。

ましてや、「書きたい」ではなく、「書かなきゃ」なのだ。

それは紛れもなく目に見えない存在である読者を信じているからだと認識している。

自分に多少の自信を持っているから、むちゃ振りされてもライブ配信などができちゃうのだろう。

バイト先でコテンパンに叱られてもめげないのもそういうことなのではないだろうか。

私の中には「自分はやれる!」っていう根拠のない自信があるから、ネガティブになることがない。

それなのに、何故こんなに疲れているのだろうか。

ただ単に寝不足が続いているからかも知れない。

 

 

ところが、私の中にある自信と云うものには波がある。

書けなくなったら最後。

とことん落ち込んでしまう。

だから、とにかく毎日ネタに困らないような生活を送る必要がある。

ここ最近はお陰様でネタに困るようなことがなかった。

家族のことで、色んなことがあったからだ。

バイト先でのネチネチしたいじめのような出来事も、書こうと思えば書ける。

しかし、あまりにも下らないし、小さいことなので敢えて書かない。

昨日も書いたが、私は世の中に揉まれて生きてきたので少々虐げられてもどうってことないのだ。

それよりも、何でも新人のせいにする先輩達がみにくく見えて行くだけだ。

反面教師で、こうなったらおしまいだな、恥ずかしくないのかな?などと腹の中で思うのである。

何のための役職なんだか、全てはトップの責任だろうが。

それを全て新人に押し付けるのは理不尽だ。

経験からそう考えられるから、へこたれないだけ。

まぁ、パン屋の先輩達も悪気があるわけではなかろう。

役職に就いているクセに、解決策を見出せないのだろう。

それはそれで情けないと思わないのだろうか。

 

 

とは云うものの、例えば大事な人を傷つけてしまったりするとめちゃくちゃ落ち込む。

きつく言わなきゃならないことと、言ってはならないことの区別くらい付くはずなのにミスをすると凹む。

とにかく「赤裸々」でいたいのなら、その辺のマナーは踏むべきだ。

大丈夫、私なら大丈夫。

いつもそう言い聞かせているのだが。

これから『蓮’sBar』をやったりする上で、この根拠のない自信とマナーは必要不可欠である。

一番無難なのは、自分のことだけ話すということだ。

私は旦那のことは書くけれども、他の人の話はしない。

ひたすら自分のことを書き続けている。

それは人間観察力がないのではなく、無難だからだ。

ましてや、私は隠し事など更々ないので何でも書けるし喋れるわけだ。

たぶんどんな質問にも平気で答えてしまうだろう。

調子こいた質問が来たら、私も調子こくタイプ。

恥ずかしいという概念が欠落しているのかも知れないが。