nakanakadekinai's diary

単なる日記でもなければ、単なるエッセイでもない

出来ること出来ないこと

どこの職場へ行っても一緒だと言い聞かせながらバイトに通っている。

私みたいな女が器用に立ち回れるわけもないし、ただひたすら忍耐。

己の能力の向上だけを心掛けている。

振り返ってみても、上手く行った職場なんて無いかも知れない。

ただ、接客と労働は好きなのだ。

パン屋でもお客さんと触れ合っている時などは、自分でも生き生きしているのがわかる。

「いらっしゃいませ」、「ありがとうございます」、口からその言葉を発するだけで、自分の存在意義を確認できるような感じがする。

先日、パン生地を窯で焼くための重たい鉄板を磨いていた時のことだ。

こういうことなら私にもできるよな、と思った。

パンを作る細かい作業や袋詰めやラッピングは苦手なのだが、誰もが嫌がる鉄板磨きは私は大好物である。

それと、洗い物。

いっそのこと時給百円安くてもいいから、そういった作業に徹することができたらもっと活躍できるのになぁと思った。

掃除なども家ではあまりやらないが、職場では私にもできる仕事の一つである。

本来私はスーパーに面接へ行った時、掃除の仕事がしたかっのだ。

ところが人手不足のパン屋に配属されたという話。

元々オリンピック会場の掃除のバイトに応募したのだが、見事に落ちた。

どうせ最低賃金で働いているのなら、近場で掃除のバイトは無いかと思うくらいだ。

今のパン屋は家から近いので楽なのだけどね。

 

 

とある人が言っていたが、人間は泣きながら生まれてくると。

つまり、生きている間は修行なのだと。

確かにそうだ。

在宅ワークもやったことがあるのだが、これまた激務である。

条件の良い仕事は私のスキルでは受からない。

死ぬ想いで働いてきたが、低賃金でこき使われていただけのような気もする。

経歴と云うものが無いから、どこにも受からないのだ。

唯一正社員で何年間も働いていた職場も工場だ。

それは経歴にはならないらしい。

 

 

それでも鉄板を磨いていると、心が落ち着くのは一体何なのだろう。

水をかけてヘラでこすり、ダスターで拭くだけの作業。

単純作業が性に合っているのだ。

ゴミ処理場でのゴミの分別があんなに楽しかったのは、単純作業だったからだ。

臭くて汚くてキツイ仕事だったが、何のストレスもなかった。

私の場合は、人並み以上の努力をしても人並みに追いつかない。

文章を公にする勇気が持てるようになったのは、六年間くらい毎日毎日ネット上にアップする習慣を付けたからだ。

石の上にも三年と云うが、三年くらい経てばパン屋の仕事もそつなくこなすようになるのだろうか。

そつなくこなせるようになれば、もしかしたら楽しい仕事なのかも知れない。

ん~、結論としては、辞めるには早すぎるのでもう少し辛抱しようと思っている。

どこの職場へ行ったって、私ごとき人並みにできないのだから。

 

 

母さんは専業主婦になれないのか?と訊いてきた。

そんなことしたら、私は自分で自分を保てなくなると思う。

子供がいるわけでもなし、ただでさえ低い自尊心が失われる一方だと思う。

文章を書かなくなったら、私は志を捨てることになる。

それだけはしてはならない。

まぁ、ここまで何もできない女も珍しい。

かといって、それを受け入れてくれる男なんていない。

だから、何が夢かと言われれば「独立」だと思う。

いっそのこと自分が雇い主になってしまえば良いのではないか?

それもできそうにないならば、やはりバイトしながら文章を書いているしかないだろう。

文章だけで飯が食えるような時代は来ないし、私にはそんな才覚は無いと思っている。

だけど、雑誌のコラムくらいはいつか担当したいなと思う。

相場が幾らか知らないが、少しくらいは生活の足しになるだろう。

知名度も上がって、本も読まれるようになるだろう。

かといって、バイトは辞められないと思う。

人前に出れば出るほど、金は掛かるしね。

女ってそう云うもの。