nakanakadekinai's diary

単なる日記でもなければ、単なるエッセイでもない

信じるという軸を持つ

なかなか難しいなと思うことがある。

最近つくづく感じることは、母さんは私への罪悪感を抱き過ぎているということだ。

私はぜーんぶ水に流してこれっぽっちも恨んじゃいないのに、自分が犯した罪の重さを感じて少々パニックになっているようだ。

私は大人になり、落ち着きも出て来て、昔のようにはしゃいだりしなくなった。

そんな私を見た母さんは、私の心の傷がよほど深いように見えたのだろう。

私が十年前のように元気いっぱいでヤンチャだったら、逆に安心したのかも知れない。

だが、私も四十一歳になり、もうじき歳を重ねようとしている。

そりゃ落ち着くだろうに。

母さんは想像を絶するほどに心配性で傷つき易く、脆い人。

だから誰もが付き合いきれなくて離れてゆく。

唯一の救いは、一人友達がいること。

もう二十年来の友達だ。

そして息子である弟の存在もデカい。

とは云うものの、本当の意味で頼れるのは私しかいない。

幸い私には子供がいないし、守るべきものが無い。

母さんの身に何かあれば飛んで行けるという身軽さがある。

一緒に暮らしている父さんは、もはや母さんの味方とは言えない。

経済的には支えてもらっているのだが。

 

 

母さんはとても愛情深い人だ。

同時に、傷つき易いが故に、少々疑り深いところがある。

母さんが一番信頼しなければならないのは子供だろ?

家族がこれほどまでにバラバラになってしまった犯人捜しのようなことをしてしまうクセがある。

あまり叱るとまた関係が悪化するので黙っているが、「信じる」という心の軸がぐらついているように見える。

そのせいで、あの時こう言ったのは誰だ?などと深掘りしてパニックを起こしてしまうのだ。

私から言わせれば、根本的には母さんはあまり変わっていないなぁと感じている。

しかし、私は昔に戻ってはならない。

もっともっと大人になって、母さんに頼られるくらいにならないとダメだ。

それにしても私からしたらとっくに忘れているようなことを、いつまでも引きずっているのは問題だ。

母さんを見ていると、罪悪感と憎悪と愛情と寂しさがごちゃごちゃになっているように見える。

要は、自分で自分のことを信じられていないのだ。

だからすぐに怖くなって、要らぬことを発言したりしてしまう。

母さんと和解して本当に良かったと思う反面、背負うものができたようなプレッシャーがある。

 

 

とは云うものの、私は娘らしいことをしてあげなかった。

母さんも母親らしいことをしてくれなかった。

だからこそ、これからは母さんに甘えようと思っている。

そして、母さんの話を沢山聴いてあげたい。

積もり積もる話が沢山あるだろう。

まぁ、母さんの悪い癖は過去の嫌な記憶ばかり話すことにあるが、旦那を会わせた時は表面上は楽しい話を心掛けていたようだ。

私は過去の嫌だった記憶は封印する覚悟である。

私にはこうして公の場で「書く」という発散方法があるし、友達に聴いてもらうこともできる。

母さんには誰にも言えない話が山のようにあるだろう。

 

 

先日会った時、少々色んな情報を母さんに与えてしまったようだ。

パニックになって、数日間眠れないとのこと。

俄然、こちらが冷静にならなければならない。

ここまで書いてみると、やはり私は子供の頃から母さんにとっての母親代わりなんだと思った。

幼少期からずっと母さんの愚痴や父さんの悪口を聴いて育った。

これから母さんが死ぬまで私はその役目を果たさなければならない。

しかし、良くも悪くもそれが母さんという人間。

 

 

そうこうしていたら、母さんから荷物が届いた。

ポーチやジャケット、小説などをもらった。

こうして私と母さんの旅は始まった。

あと何年こうして仲良くできるのかわからないが、私は最大の味方でいようと思う。

そうすることしかできないから。

 

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