エリックサティの作業用BGMのようなメドレーを聴きながらこれを書いている。
バイトは人手不足で、てんてこ舞いだった。
まるで登山の後のような疲労感。
立ち仕事なのだが、私の場合疲労が背中に来る。
横になってちょっと休みたいところだが、これを書いてしまわないと夜寝るのが遅くなってしまう。
酒を飲みながら、時間を気にすることなく書ければいいのだが、毎晩時間との闘い。
少々酔った状態でパソコンに向かうと、疲労が倍増する。
ネタが無かったら尚のこと、気持ちばかり焦る。
それでもなんとか毎日書いている。
金にもならぬことを必死になってやっているのは、やはり書くことは私に与えられた使命だからだ。
死ぬまでにどれだけ成長できるだろうか。
そう考えると、私の「書く」という作業は「死」というゴールに向かって登り続ける登山に似ている。
五年前より、三年前より今の方が上達しているはずだと思いたい。
あまり深く考えずに書いているのは、昔と変わっていないのだが。
頭で書いているのではなく、浮かんでくることをタイピングしているだけだ。
浮かんでこない時は指が自然と止まる。
その時の苦しみは、海で溺れかけた息苦しさに似ているのかも知れない。
最近は音楽をかけた方がタイピングが進むようだ。
エリックサティのメドレーは実に心地が良い。
別に暗い気分になるわけでもない。
いい意味で時間を忘れさせてくれる。
昨日に続くが、昔、ピアノのミニコンサートを富山県黒部市でやったことがある。
激しく雪の降る日だった。
もともと音楽短大だったようだが、一般開放していて、グランドピアノを安く借りることができた。
私はとある女性に背中を押され、毎週末黒部市のそこへ通って猛練習した。
まぁ、そのミニコンサートの後、私は楽譜を抱えてジムニー一台で上京したのだが。
八王子でホステスをしていた私は、国立でお客さんを数名呼んで、これまた小規模なミニコンサートを開いた。
しかし、何かが違うなと思った。
それでピアノを捨て、文章に走ったわけだ。
と云うより、ある日突然文章が書きたくなったのだ。
ブランクはあるにせよ、一日も欠かさずパソコンに向かうようになった。
そうして今に至るのだが、文章から遠ざかってしまうのが怖くて続けているのもある。
私を支えている唯一のことは、毎日書かなければならないということ。
バイトはお金を稼ぎに行っているのに対し、文章は誰からも強制されずに勝手にやっていること。
しかし、自らルーティンを作ることは極めて重要だと考えている。
習慣をなめてはならぬ。
ピアノをやっている人ならわかると思うが、毎日鍵盤叩くでしょう?
それと同じで、一日でも書かない日があると、感性が鈍るのである。
私が最も苦戦しているものは写真だ。
いっそのこと、毎日夕飯の写真をアップしようかと思うくらいだ。
徒歩二分のバイト先と自宅の往復のみなので、iPhoneのカメラを使う機会がなかなかない。
投稿したものに対する反応が薄かった場合、文章と写真のどちらが悪かったのか真剣に悩む。
だけど自分で答えを出せたことは一度もない。
私の中では謎のままだ。
だが、私にできることは本音でわかり易く書くのみだ。
他人のことより自分のこと。
自分のことって案外隠そうとする傾向があると思う。
私としては「恥」という概念が無いわけではないのだが、ある意味晒す覚悟を持っているのだと思う。
どう思われようが、大したことではない。
自分で自分のことをネタにして遊んでいる節がある。
だからライブ配信でもある程度喋れるのだと思う。
堂々とハンドルネームを使わず「橋岡蓮」としてSNSをやっているので、仮に旦那に見られていても大した問題ではない。
だって、本当のことしか書いていないのだから。
私はごくたまに、自分の過去の文章を振り返って読むことがある。
こんなに面白いこと書いていたのか!と驚くことがある。
それと同時に、稚拙だなと感じることもあるのだが。
そんなわけで、今日も無事に書き終えた。
インスタライブ配信
10月21日(木)
20時半~
『蓮’sBar』