nakanakadekinai's diary

単なる日記でもなければ、単なるエッセイでもない

別れと、縁と、出会いと

仲井戸蘭一の『CHABO』を聴きながらこれを書いている。

最近忙しかったので、少々疲れている。

この疲れを取るには、睡眠時間を増やすしかない。

朝寝坊すると、私の場合何かと都合が悪い。

一時間なら一時間、二時間なら二時間スケジュールがズレる。

そうして寝る時間が遅くなってしまい、効率が悪い。

編集作業がいい感じで進んでいるので、勢いは止めたくない。

今週も忙しくなる。

長い間栄養ドリンクなどというものは飲んでいないのだが、一瞬でも誤魔化されるなら頼りたくなる。

何となく目の下のクマが酷くなったような。

マッサージしてもらいに行きたいけど、揉み返しも怖いような。

こういう時は音楽に癒されるしかない。

CDをバラード曲に変えた。

 

 

忙しいのだから先延ばしにすればいいのに、美容のために通っている皮膚科へ行ってくる。

ビタミン剤や漢方薬を処方してもらっているのだ。

市販のものを買えば一ヶ月一万円くらい掛かってしまう。

ところが皮膚科でもらえばその半分以下の値段で買える。

皮膚科は草加駅から徒歩二分の場所にあり、近くには一応時間が潰せる食べ物屋などがあるから便利だ。

それとは別件で、午前中は用事があるので午後皮膚科へ行くことになる。

恐らく二時間空き時間ができるので、どこかでメシがてらビールでも飲んでしまうかも知れない。

こういうことするから逆に疲れるのかなぁ~。

ただ、この空き時間にやってしまわなきゃならないことが多々ある。

保険屋などに電話をしてみることだ。

 

 

実は読みたい本も溜まっているのだが、ここまで来るとどれから読んでいいかわからない状態。

一気に何冊も注文したのはいいのだが、さて困った。

友達から借りている本でも先に読もうかな。

そう言いながら、デスクの上にあった『友よ』という本を手に取ってみた。

すると序盤から興味深いことが書いてあった。

 

「別れを感じることができるから、愛を大切にする」

 

そういうことだ。

別れと云うものは必然だ。

私もこの一年間で、どれだけ多くの出会いと別れがあっただろうか。

どの出会いもどの別れも必然だったように思う。

もっと言うならば、別れの悲しみがあったからこそ次に訪れる出会いを大切にできているのかも知れない。

勿論死ぬまで付き合って行ける人もいるだろう。

だけどそういう間柄でも死別は必ず起こるわけで、やはり別れは避けられないものなのだ。

その代わり必ず新たな出会いと云うものが用意されているのではないだろうか。

だとしたら、別れを恐れてはならないということになる。

私かて、長続きする人もいれば短命で終わる人もいる。

その時は、それまでだったと思うようにしている。

それまでの人だったというより、それまでの関係だったということだ。

また新しい出会いがあるだろうに。

もう未練たらしく追っかけるのはやめにしよう。

縁がある人とは不思議なことに、期間が空いても繋がっているものだ。

それを実感した時、縁があったことに心から安堵する。

連絡も取らないし会うこともなかった人と再び縁が繋がると、嬉しさのあまり今まで以上に好きになることもある。

 

 

そんなことを想いながらトリスハイボールを飲んでいる。

安酒の王様、トリス!!

だけど甘口で美味しいのである。

角でもなく、ジムビームでもなく、もっともっともっと安いトリス。

日頃「ビールを飲んだ」などと言っているが、私のビールとは『ぐぐっと生』という発泡性②というリキュールだって云う話。

ましてやそれは三号缶七十円しないのである。

この質問をするのが面倒臭くてビールなどと言っていただけだ。

今の時代、発泡酒をビールだと思って飲んでいる人が大半だろう。

貧乏人ほどそんな細かいことにはこだわらず、「ビールうめぇ~!」などと言って激安発泡性リキュールを飲んで私のようにうめいているのである。

というわけで、今週も頑張るか。