nakanakadekinai's diary

単なる日記でもなければ、単なるエッセイでもない

本人は真剣!!

数名の近しい方に相談しながら、イギリスの出版社に送る『破壊から再生へ』の概要文を決めた。

そしてそれを、イギリスの出版社との取り次ぎ会社の担当者に送った。

今、返事を待っている。

どんな返信が来るか若干ドキドキしているが、それほどビクビクはしていない。

『破壊から再生へ』の概要文とはこういうものだ。

 

 

格差社会ではないと思われている日本だが、私は孤独と貧困と共に生きざるを得なかった。

 機能不全家族の中、親からの愛情や自分の居場所というものを見つけられずに過ごした。強すぎる個性のあまり、社会にも適合できず、友達を作ることさえなかった。

 この本はそんな私が生き辛い社会の中で世に訴えたかった魂の叫びである。前向きな考え方と清貧の美学こそが生き延びる手段だと考えた私は、大都会東京で最低賃金で慎ましく暮らす。

 清貧とは、私の場合余計なものを持たず、時には捨てるという意味である。唯一の救いは「書く」ということ。これは神から与えられた使命。「書く」ということが何よりも心の支えになった。

 何故なら内に秘めた想いを文章にすることによって、精神の安定を図ることができたからだ。それまでは、魂の浮遊を制御することができなかった。

 ゆえに、排他的な放浪生活を送っていた。日雇い労働者として働き、なけなしの金で酒を飲み、仕事が終われば文章を書く。それはたった一人の理解者というものを見つけるためだった。

 現代社会において、孤独と貧困は社会問題である。心の神を失った現代人は何を支えに生きればいいのかがわからない。

 私には物欲、金銭欲、独占欲がない。その代わり溢れんばかりの愛と潔さを持っている。根底にあるものは圧倒的な寂しさ。愛と自立心の大切さに改めて考えさせられる魂が抉られる一冊。】

 

 

翻訳者の方から多くのアドバイスを戴いたのだが、これで行こうと思った。

この文章を訳すのは、取り次ぎ会社の担当者である。

ややこしいが、翻訳者の方ではないのだ。

その辺が読んでくれている者からしたらややこしいとは思うが、そういうことになっている。

私はこの文に、強すぎるメッセージを込めた。

しかし、この本はこれが全てである。

イギリス及びヨーロッパ英語圏にいる顔も知らぬ読者へ向けた最大限のメッセージだ。

取り次ぎ会社の担当者からダメだしを食らうかも知れないけど。

こう見えて、私は勝負事に弱くない。

かといって人間同士の揉め事は苦手だ。

意見が衝突しても、阿呆らしくなって、引いてしまう。

言い争ったりしない。

はいはい、どうぞどうぞ、と譲ってしまう。

気が弱いというか、面倒臭がりなところがあるので、熱くなれない。

こちら側が白けてしまうのだ。

私も天邪鬼で、一旦熱を入れるととことん口説き落とす。

幾ら口説いても振り向いてくれない人も、世にはいるのだが。

 

 

ただ、私はせめて自分の本のPRくらいできるようになりたいものだ。

宣伝らしい宣伝もしてこなかった。

それでも上記の概要文を読んで、ピンと来る方はいないものだろうか。

日本とイギリスでは背景が違い過ぎるかも知れないが、「もしかして私のこと?」と思ってくれた人とは仲良くなれそうだ。

もっと単刀直入に言うならば、この概要文に反応してくれる人とは苦労してきた人だと思う。

そういう人にはドストライクだと思うのは私だけだろうか。

イギリスはキリスト教プロテスタントの社会である。

現代社会において、皆が心の中の神を失くし、彷徨っていると思われる。

日本以上に壮絶なものを抱えて生きているだろう。

私はイギリス人の気持ちはわからないけれども、全世界に通じるものがあると思っている。

イギリスのミュージシャンに馴染みはないのだが、考えたら『UFO』がいる。

ビートルズ』もいる。

だけど、人々に希望を与える者として、そこに『橋岡蓮』の名があってもいいだろうという気がする。

私ってヤツは平気でこういうことを口にするから笑える。

本人としては真剣なんだけどね。