nakanakadekinai's diary

単なる日記でもなければ、単なるエッセイでもない

遅かれ早かれ

私にはよくわからない。

 

「自立した蓮ちゃんと結婚したから」

 

これが口癖の旦那なのだが、私が起業したことが気に入らないようだ。

大喧嘩の末、出て行けと言われた。

どうやら私が扶養から抜けるのが嫌なようだ。

上野でお会いした方の話によると、扶養家族がいると云うのはサラリーマンにとっては有利になるのでは?とのこと。

それともう一つは世間体みたいなものも含まれているのだろう。

旦那としては、パン屋にいた頃の私が一番良かったと言っていた。

一瞬、腹が立ったが、よくよく考えてみればわかる話。

女だらけの職場、自宅から徒歩二分、働いている姿を見に行くことができる、などなど心配の種がないわけだ。

ところが、起業した私は毎日のように人に会いに出掛けて行き、自宅にいても心ここにあらず。

仕事のことで頭が一杯。

とはいうものの、旦那より早く帰宅しメシを作り、極力会話をするように努めてきた。

でもやはり不満なのだろう。

自分は蚊帳の外にいるような気分なのかも知れない。

いや、やはりヤキモチもあるのだろう。

男に対するヤキモチだけではない。

自分より私が成長して行くのが、やはり気に入らないのではないだろうか。

私としては、応援して欲しかった。

欲を言えば、自分のことのように喜んで欲しかった。

しかし、起業のことも海外出版のこともどっちとも他人事なのだ。

むしろ、失敗すればいいと思っているのがなんとなくわかる。

ましてや、私は自分が死んだら印税や所有権は旦那にはやらない。

遺書をちゃんと書いて、別の人に託すと決めている。

私の死後も尚、私の本や作品を世に広めてくれて、定期的に墓参りをしてくれるような人。

要は、私の人生をまるごと受け止めて、でこぼこしたものさえ理解してくれる人。

勿論、生きている間は、私が所有していればいいのだが。

 

 

てか、出て行けと云うのは本心ではないだろうが、遅かれ早かれいつかそういうことになるような気がする。

ベクトルが合っていないからだ。

私が進もうとすると、言い方は悪いが足を引っ張ろうとする。

確かに上辺では仲の良い夫婦なのかも知れないが、人間同士が信頼し合うことって、こんなものじゃない。

それについては、ずっと前から感じていたこと。

どうして夫婦なのに、腹の探り合いをしているのだろうかと。

たまに虚しくなるからこそ、外の世界に理解者を求めてしまう。

もし旦那のことを腹の底から信頼していたら、これほどまで仕事にこだわらなかったかも知れない。

簡単に説明するならば、負けず嫌い精神から発するハングリー精神なのではないだろうか。

旦那に負けたくないとか、そんな程度の低いものではない。

私はもっとやれる!

それを証明するためだけの、自分との闘いである。

ここまで来たら、人生と天命を掛けた真剣勝負である。

私は自分の思い通りにしたいのではない。

神から与えられた一つのテーマは『救済』でもある。

それは自分にも言えるし、他者にも言える。

まずは、自分だろう。

 

 

百歩譲って、旦那の気持ちもわからなくはない。

かといって、私は私の生き方を否定する者とは共に歩めないような気がしてならない。

問題は金なのだが、なんとかなりそうな気がしてしまう。

根っからの楽観主義な上、本当になんとかしてしまうのが私だ。

かといって大事な問題なので慎重に。

心さえ決まれば大胆に。

またもや元のさやに収まるのか、それとも決着が付くのか。

運命は確実に動き出していることは実感する。

キッカケは何かって、覚えている方はいるだろうか?

パン屋でバイトしていて、内部でイジメられていたことを。

今となっては、私をイジメてくれてありがとうだよな。

パン屋の終わりが、私の全てを変えたと言っても過言ではない。

これを読んでくれている方の中に、離婚問題やイジメ問題で悩んでいる人がいるかも知れない。

ちょっとでも参考になればいいのだが。

ならんか。