薄々感じていたが、ごくごく一部の人は私に注目してくれているのかも知れない。
突拍子のない言動かも知れないが、一貫性はあると思っている。
しかし、中には着いて来られない、理解できないという人もいて去って行くのも肌で感じるものがある。
それはそれで仕方のないことだ。
私が繰り広げる『蓮ワールド』は万人受けするものでは決してない。
本音で生きるというのはそういう覚悟がなければ成立しないのさ。
誰にも私の真似はできないが、真似したいヤツはやってみればいい。
それくらい強気なことを言えちゃう自信が私にはある。
根拠は無い。
だけど、自分の魂を心から愛している。
そして、親しい人々を幸せにする義務がある。
その義務は全て、私の事業を通じて行うものである。
つまり、友達不在論だ。
私は事業で仲良しごっこをやるつもりはない。
勿論、私の事業は、クソ面白いものにする。
だけど仲良しごっこではなく、本気の人間だけが集まる場所でなくてはならない。
私は皆の蓮さんであり、失うものも何もない。
これから行きたい場所も無い。
ただ、私は「世界の橋岡蓮」になる。
理由は簡単だ。
世界中の読者が私のことを必要としているからだ。
恐らく、ファンはどんどん増えて行く。
だけど、私は益々孤立するような気がしてならない。
そうさせないためには、パートナーの存在しかいない。
大勢の人に囲まれ、注目を浴びていても、この世の中で俺とお前だけという世界を作り出すしかない。
その圧倒的な孤立から来る孤独感を愛せる器のある人でなければならない。
私の傍にいると神に誓って言える人。
そういう人と一緒にいれば、私は更に自分の運命を愛せるようになる。
今は、もはや過去だ。
最近は自分で書いたものを読み返すこともなくなった。
カッコいい文章が書けたとしても、アップした時点で私の物ではない。
以前は、ちょこちょこ見直しながらたまに編集したりしていた。
誤字脱字は直すけれども、それ以外は訂正しない。
一度アップしてしまえば、過去。
今、こうして書いていることさえ、過去である。
この瞬間は全ては過去に変わってしまう。
「今を生きろ!」
なんて色んなところに書いてあるし、よく言われることではあるが、私は若干首を傾げる。
確かに間違ってはいないのだろうけど、明日に向かって生きろ!と言われた方がしっくりくる。
こういうことを書くと叩かれるのもわかっている。
今日一日を生き延びるのに精一杯な人が大勢いるからだ。
だが、何のための今日なのかと訊かれれば、明日のための今日だ。
確かに好きな人と同じ時間を共にしていれば、時間よ止まれ!と思うけどね。
しかし、私はそんな時も明日のことを考えてしまう。
素晴らしい時間だったら尚のこと、この気持ちが明日も続きますようにと願うのだ。
だから明日のための今この瞬間があるのだと考えている。
具体的に言うならば、こうして文章を書きながら、明日の反響を気にしていたりする。
今日のことなど、もう既に考えていない。
明日になればアップしたら終わり。
翌日の投稿のネタを探し始めるのさ。
そうやって、私は日々を過ごしている。
私にとって一番苦しいのは〆切りかな。
今月も終わってしまう。
来月は私にとっては本番のようなもの。
それが無事に過ぎ去ってしまえば、あとは『ロックンローラー』の完成に全力投球するのみ。
限られた人としか会わず、ひたすら執筆に励む。
子供のいない私が言うのも何だが、我が子を育てるように作品創りに専念する。
勿論、仕事はしなければならないが、神様が私に与えてくれた貴重な時間だと思って、大事に使いたい。
これも、発売してしまったら終わりだ。
もう私だけのものではなくなるわけだ。
そうこうしている内に、夏がやってくるのだろうな。
私はどこで、誰と、何を、どうやって、どんな風に過ごしているのだろうか。
頭ではわかっているのだけど。