nakanakadekinai's diary

単なる日記でもなければ、単なるエッセイでもない

真っ当な不良

ちょっと難しいことを書きすぎて、全部消してしまった。

記事にするには勉強不足だと思ったからだ。

私はよく「真っ当な不良」と言われる。

たぶんこういうことだ。

考え方は真っ当なのに、やっていることが不良なのだろう。

例えば、私は嫌われるようなことを平気で書く。

具体的に言うならば、「男は踏み台である」などだ。

最後に勝つのは私。

人生はサバイバル。

一種の冒険である。

女を武器にできるほどいい女ではないのだが、男を踏み台にしてきた。

旦那も踏み台にされた男の一人かも知れない。

しかし、一緒にいる間は徹底的に愛し、尽くす。

ただ、違うと思った瞬間踏み台にしてどこまでも高くジャンプする。

傷付けるつもりは更々ない。

私の場合は不思議なもので、こちらは踏み台にしてやってるにもかかわらず、「ありがとう!」などと言われる。

それだけ、内容の濃い日々を送ってきたからだ。

相手ができの良い人間だったら、本当に笑顔でサヨナラできる。

お互いに泣いてしまったとしても、笑顔だ。

悪魔?

いやいや、利用したのではない。

結果的に踏み台になってしまっただけの話だ。

本来私は普遍的な愛を求めている。

色褪せることなく、変わることなく、どちらかが仮に亡くなっても続く愛。

私のような真っ当な不良を相手にできる男はそうそういない。

確かに悪魔性も持っているかも知れない。

しかし、人生を共にする相手へ嘘偽りはない。

きっと今の旦那に対して今更不満が出てこないのは、完全燃焼したからだろう。

やるだけのことはやって、それでもダメだったのだから仕方がない。

そういうところは真っ当でしょ?

しかし、全てを捨てて無謀な挑戦をしようとしているところが不良なのだ。

そのようなことをちょっと哲学的に書いていたのだが、小難しくて消してしまったという話。

 

 

少々疲れていて、どうやら頭が回らないようだ。

仕方がないので、無理矢理続きを書いてみよう。

 

 

傍から見れば、あらゆることが絶好調かのように見えるかも知れない。

しかし、私は劣等感の塊りでもある。

一番は読書する時間がなかなか取れないことに所以する。

私は誰よりも無知無学であることを知っている。

とはいえ、若い頃から普通に生きていれば見ることのない世界を体験してきた。

それが強みなのか汚点なのかはわからないが、『ロックンローラー』にはその辺のことが書いてある。

冬眠生活に入ると言いながら、今月はまだまだそうも行かない。

だが、今週を乗り切れば、徐々に落ち着きつつある。

予定が入っていない。

何故なら、クリスマスイブまで予定を空けてあるからだ。

徳田秀義氏のエッセイを完成させるためだ。

決して休みじゃない。

完成まで死に物狂いで編集しようと思っている。

目先のことに体当たりできるのは真っ当だろ?

ところが、苦手分野に無謀備に体当たりしているところは「不良性」なのである。

無知無学である私が、右左もわからん道のスペシャリストになろうとしている。

 

 

自信が持てるのは実体験のみ。

私は自分の目で見て、耳で聴いたことしか信用しない。

その代わり自分で感じたものは疑わない。

私ってそういう人間である。

自分の目で見て肌で感じたものしか、信じない。

だから噂などに流されることもない。

偏見もない。

フィーリングのみだ。

先入観もない。

話してみた時の感触や、タイミングのみだ。

知識で動いているわけではない。

どちらかと云うと動物的な「勘」でのみ生きている。

そこには計算が働く時もあるさ。

だけどその大半は、相手に及びもしないもの。

 

「蓮さんはもっとズルく賢く生きたらもっと強くなれる」

 

そう言われるが、ズルくもなれなければ賢くもなれないのが現状。

情けないよなと思いながらも、そんな自分が憎めなかったりして。

真っ当だけど「不良」って云うのが伝わっただろうか?

 

 

12月15日(水)20時~

『蓮′sBar』

橋岡蓮バースデーライブ開催

インスタライブ配信

 

乞うご期待!!