上野へ行ってくる。
大事な打ち合わせを控えているのだ。
お相手の話をよく聞いてこようと思っている。
十五時まで上野で、十六時から錦糸町だ。
恐らく終わるのが十九時頃になるだろう。
帰宅は二十一時を過ぎる。
それから翌日の投稿記事を書くので、寝るのが遅くなる。
ハードな一日になる。
寒いのかなぁ~、何着て行こうかな。
肩の凝らない、楽な格好がいいのだが。
さてさて、これから書かせて頂く。
実は三時間も爆睡してしまい、かえって眠たい。
最近考えることは、「仲間」って何だろうということだ。
確かに私には仲間が沢山いる。
でも私が仲間だと思っている人は、皆、読者でもある。
もう長い間、私の拙い文章を読んできてくれた。
だから信頼関係が半端ない。
だが、お付き合いの長い短いは関係ない。
蓮さんの文章に出会って、それ以来楽しみに読んでくれている。
そういう人は仲間だよな。
ただ、中にはそうじゃない人もいる。
読んだことはあるけれど、感銘を受けたわけではないという方もいる。
そういう人って仲間なのか?
『破壊から再生へ』を読んでも、うんともすんとも言ってこない方もいる。
私の日々の投稿も読んでいるのかどうなのかわからない方もいる。
つまり、誰でも彼でも「仲間」というわけではないということだ。
私としては、やはり毎日楽しみにしてくれている方々こそが最大の仲間だ。
縁があって顔見知りになっても、読者ではない人は「知り合い」に過ぎない。
毎日読んでくれることは体力の要ること。
それを続けてくれている人には恩がある。
だからお互いが死ぬまで、仲間でいたいと思うのだ。
私って、間違えていないよね?
しかし、こういう人もいる。
私の文章に惚れたわけではないけれど、蓮さんのファンであるという人だ。
それは人間「橋岡蓮」が何かしらの影響を与えたのだろう。
有り難いことだし、嬉しいけど、そういう人々は私の文章を読んでいない。
これ、複雑じゃね?
私の中では、若干綺麗ごとに聞こえてしまうのだ。
だからこそ、私は読者、つまり楽しみに読んでくれている人を優先してしまう。
線引きは難しいけど、読んでいない人というのは本当の私を知らない。
捻くれた感情で、どうせ何も知らないクセに…などと思ってしまう。
本をあげたり、買ってくれたりしても、読んでいない人もいる。
そういう人にどうやって心を開けばいいのだろうか。
心を開きようがないとは思わないか?
やはり私はどんなにファンですとか言われても線引きしてしまう。
読んでくれている人には敵わない。
ハッキリ言って、そういうことだ。
そう考えたら、仲間って限られる。
私にとっての仲間と、知り合いに分かれてしまう。
私は当たり前すぎることを言っているのか?
生意気なことを言っているのだろうか?
でも仲間って、深いものじゃない?
困った時に助け合うとまでは言わない。
仲間に迷惑を掛けないのも、仲間に対する礼儀でもある。
つまり、私が仲間のためにできることは独立自尊だ。
精神的にも経済的にも自立することが求められる。
とはいえ、私は読者に精神的に頼っている部分があると思う。
わからないことは何でも訊くし、読者を心の支えにして生きている。
毎朝寝ていればいいのに早起きするのは、皆の仕事前に投稿を読んで欲しいから。
もしかしたら、私には仲間意識が弱いのかも知れない。
元々、無頼の精神で生きているからだ。
だけど、仲間に支えられて生きていることを実感する。
かけがえのない存在だとも思う。
てか、読んでくれない人のことを相手にする必要はなくね?
そこまでキャパ広くないし、要領も良くない。
私が自分で見たもの、読んだもの、聴いたものしか信じないように、人々だってきっとそうだ。
これからも、読んでくれる人は大事にし、読んでくれない人は眼中にないという強気な姿勢でいいだろうか?
お門違いだったら、笑ってくれ。
12月15日(水)20時~
『蓮′sBar』
橋岡蓮バースデーライブ開催
インスタライブ配信
乞うご期待!!