nakanakadekinai's diary

単なる日記でもなければ、単なるエッセイでもない

器の大きさと弱さ

先に書いておくが、今日はロクなことが書けそうにない。

分かり易く言うと少々混乱しているからだ。

私は自分で自分のことが大好きな人間だった。

泥水を泳いできたが、泥水に塗れることなく清く美しいとまで思っていた。

それは大きな間違いだと知った。

自分で思っている以上に泥に塗れているのだと。

確かに私は変わっている。

自分の意見や気持ちに嘘偽りがないことに満足し、それを美化していたのかも知れない。

一般的には醜いとされている、独占欲、嫉妬心、承認欲求、支配欲、私は全てを持っている。

それが私を苦しめているものであり、コンプレックスでもある。

これらさえなければこんなに生きるということは辛くなかったし、しなくていい喧嘩や悪事も沢山してしまった。

 

 

この際、まとまらなくてもいいから思っていることを書く。

怒られても嫌われても笑われてもいいや。

私は自分の良い面に目を向けるクセがある。

元々自己肯定感が低いので、それを打破するには自分で自分を褒めるしか方法はなかった。

だけど、ここに来て、それこそが欠点だと思うようになった。

自分大好きとか言っている場合でもないのだと。

だからと言って、欠点に目を向けるようになると、私はハッキリ言って暗くなる。

だってそうだろ?

私が持っている醜い感情は、自分で受け入れて理解していればそれでいいと思っていた。

正直に言って、私は頭のいい人間ではない。

それを自覚している人間には気持ちがわかるかも知れないが、論理で責められても何も返すことができない。

悔しい想いをしても、それを言葉にして理論立てて説得することなどできないのさ。

頭の中で考えていることが、言葉となって口から出るまでに時間が掛かるということだ。

だから誰と話をしても、自分から折れ、自分を責める。

時間を掛けて考えなければ、自分を責める気持ちからは脱出できない。

職場でも、夫婦間でも、口では勝てないのである。

そうしていつもいつも悔しい想いをしながらも、泣くに泣けず、半分拗ねて生きているのが私。

私は自分で気付いていないような、私の良いところを指摘してくれる人のことは大好きになってしまったりすることもある。

本来、拗ねているからだ。

その拗ねた感情は、人間関係に影響するようだ。

全ての人間に対して心を開いているようで、なかなか人間と云うものを信頼しきれないところがあるのかも知れない。

 

 

しかし、私を知る者は「蓮さんは騙されやすいから気を付けて」と言う。

全く懐疑の心を持っていないはずなのに、信頼の心が弱いのかも知れない。

そんな私は魅力に欠ける人間なのだろうか。

リーダーシップを持って、世界の橋岡蓮として世界中の読者を受け入れる器がないのだろうか。

泥水の中を生きてきて弱さをはらんだ人間臭い人間だからこそ良いのであって、完璧な人間になど私は興味を示さない。

まぁ、器はでっかくなりたい気持ちはあるけどね。

少々潔癖なところもあって、自分の邪魔をされたり見下されたりしたら腹が立つ。

これは当たり前のことでしょ?

これもまた器の問題か?

 

 

多くの人々にとってどうでもいいことが、私のしゃくに障ることもある。

そういうことを公で書いてしまう私が悪いのだろう。

かといって、当たり障りのない文章しか書いていない記事なんて読みたいか?って話。

別に注目されたくて書いているわけではない。

私の願いはただ一つ。

理解者に一人でも多く出会いたいということ。

昔から同じことを言っている。

ただ、散々馬鹿にされたのを忘れない。

この世に理解者なんているわけがないって。

理解者は自分自身だけだって。

私はそうは思わない。

仮に一人も存在しなかったとしても、私は信じる。

あらかじめ言っておくが、依存じゃない。

ね?何言ってるのか良くわからないでしょ?

今日書けるのはこの程度のことだから勘弁してくれ。

 

 

12月15日(水)20時~

『蓮′sBar』

橋岡蓮バースデーライブ開催

インスタライブ配信

 

乞うご期待!!

もうカウントダウン!!

明日です!!